漫画の読み方が解らないという事。~御約束とは何か~

以前、何かの本を読んでいたら、
「漫画の読み方が解らない」
という一文に目が留まった。

幼少の頃から呼吸するように漫画を読み漁ってきた自分としては、漫画の読み方が解らないという事が解らなかった。

漫画には文法が存在し、漫符(by 相原コージ、竹熊健太郎)、形喩(by 夏目房之介)と呼ばれる独自の記号によって、情景だけでは表現しきれないキャラクターの内面や状態を表現している。

また、カメラの前にあるものが撮影される映画と違い、漫画は作者が意図して描かない限り、そのコマ上に絵が乗らない。
つまり、コマ上に描かれた絵には、何らかの作者の意図が反映されている場合が殆どである(例外としては、ドラマなどの影響で街の風景を淡々と書き込むなどがある)。

こうした「お約束」は、漫画を読んでいると無意識に蓄積され、例えば漫画を描かない人でも、ノートの隅などに落書きする際に漫符(形喩)を用いていたりする。
例えば、汗を飛び散らせる事で疲れや焦りを表現したり、脚の代わりに渦巻きを描く事で走っている事を表したり、さくらももこ『ちびまる子ちゃん』以前からあるものの、ちびまる子ちゃん以後に爆発的に広まった「青ざめた様を示す顔、もしくは頭に入る縦線」などは、落書きで頻出する漫符(形喩)と言えよう(最近の漫符としては、驚いた時に大きな白い目と四角い口になる簡略化した顔になったりする事が多いように思う)。

しかし、「お約束」とは、その文化の枠内であるから通用する常識であって、文化の枠外においては効果を発揮しないものである。
つまり、「漫画が読めない(読み辛い)」という事になる。

また、ギャグや流行りはその作品が描かれた時代背景が如実に反映される事が多く、現代では通用しない可能性が高い。

これは当然、他の文化でも当然当て嵌まる。
「落語の良さが解らない」
「歌舞伎の良さが解らない」
「バレエの良さが解らない」
「オペラの良さが解らない」
「ダンスの良さが解らない」

誰とも約束していない「お約束」を疑わなければ、マニアだけのものに堕してしまう危険性を孕んでいる。

文化を維持するには、常に一定数の支持者を必要とする。
支持者を確保するには、その文化の「お約束」を学べる環境を整備する必要がある。

野暮な説明では無く、幾つかの作品をビギナーでも読解し易い様に提示したり、愉しめるものを紹介したりする事で、その文化を維持出来ると思う。

伊集院光が「日曜日の秘密基地」の「秘密基地VIPルーム」で春風亭小朝師匠と「落語ソムリエ」について語っていたが、文化は時代を経たり、細分化するとソムリエを必要とすると思う。
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拒絶の先にあるもの。

ヒステリックな世の中になったよなぁ、と思う。
考えが合わない人は排斥するような、切捨て社会になっちゃった。
例えば煙草。
俺も煙草は大の苦手。昔は吸ってたけど、やめてからめっきり煙が苦手になってしまった。
だけど、ここ数年の「国を挙げての愛煙家苛め」には辟易する。
欧米の真似をして先進国ぶりたいんだろうけど、新たな差別を生むだけでバカバカしいったらありゃしない。

「今まで平気だった物事が、ある日を境に禁じられる」なんて、ホラーやSFではよく出てくる題材だけど、他人事じゃない。
現実に目の前で起こっている出来事だ。

【関連日記】
官憲横暴!
http://dancernorimitsu.blog94.fc2.com/blog-entry-591.html

何でもかんでも規制したがる人ってのがいる。
こういう人は趣味とか無いんだろうか?
そして、周囲の人との人間関係はどうなってるんだろうか?
思わず知りたくなる。

自分の嫌いな物事を排除していった先にあるのは、孤独である。
自分に都合の悪い事を拒絶するだけの人には、『ドラえもん』15巻に収録されてる「どくさいスイッチ」を薦めたい。

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受け手には想像する権利がある

「世の中には、知らなくても良いこと、知らないほうが幸せなことがある」
別に、陳腐なミステリーの犯人の台詞ではない。

送り手の意図と異なる受け取り方をされる事は、よくある事だ。
例えば、映画のDVDのオーディオ・コメンタリーなどで「ああ、このシーンはそういうつもりだったのか!」と思う事もある。
また、良かれと思ってした事が裏目に出たり、会えない時間にあれこれ想像しては心を焦がす事もある。
しかし、何度も書いているが、人間は主観で生きている為、未知なる物事を経験則や知識からの想像で補いながら生きているから、多少の妄想は仕方が無いと思う。
対人関係の場合、誤解を解く必要がある。その為に我々は言葉を費やし、情報を共有する。
しかし、こと作品に関しては、受け手の想像に委ねるのがいい、と考えている。

例えば、亡くなった画家の絵を「この時代は誰々と一緒にいたから、この絵のモデルは彼女だろう」とか、そういう解説は野暮だと思うのである。
「直接その描いてる現場を見ていないのだから、真実はわからない」それでいいんじゃないか?と思うのだ。
物事にはどうしたって、多少のぼやけがある。このぼやけを許せる人と許せない人がいる。

例えば、テレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』のラスト2話である。
それまで、汎用ヒト型決戦兵器 人造人間エヴァンゲリオンを操縦する少年少女たちと、謎の敵「使徒」との戦いを描いてきたアニメのラスト2話が、主人公の心象風景で終わった。もちろん、思わせぶりに出てきた数々の謎は未消化のままだ。
これに対して怒りの声を上げる人が多かったのだが、そんなに悪い終わり方だったかなぁ?と思うのだ。
謎は謎のまま、あれこれ想像して楽しめばいいじゃないか、と俺は思ったのだった。
別に受動に徹する必要は無い訳で、「これが真相だったのだ!」と答えを明示しないのはダメな作品だ!とレッテルを貼る方がおかしいとすら思った。
むしろ、全てを明るみに出されちゃった時の興醒めの方が厭だ。
「ああかも知れない、いやいや、こうかも知れない」と想像力を掻き立てられる情報だけ残った方が、物語の余韻に浸れるではないか(もっとも、人によっては「作り話だからこそ、きっちり完結させて受け手を現実世界に戻らせるべきである」という意見もある)。
現実ではないから、真相はあやふやでいい。むしろ、「非現実こそ、あやふやであるべきである」というのが俺の持論だ。
どんな物語も所詮は人がこさえた作り話である。その戯言に命を吹き込むのは、受け手の想像力である。

例えば、落語は地の文(ト書き)もあるけど、基本的には登場人物の会話によって進行する。その行間を補うのは、聴き手である客の想像力である。
客の一人ひとりの頭の中に違う情景が描かれていて当たり前なのである。しかし、その必要最低限の情報が、逆に噺にリアリティを与えている。
頭の中で想像する分には、現実の出来事も、作り話も同列に並ぶからである。

手品のタネ明かしは野暮そのものだ。
一度トリックを知ってしまうと、どうしてあんな事が出来るのだろう?とワクワクする気持ちを失ってしまう。
知らない方が世の中を楽しめる事だってあるのだ。

もっとも、国や企業に騙されるのはゴメンだ。
やはり、現実には真実、非現実には想像が必要だと思う。


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物語にはオチが必要か?

大人のはなし(別にエロくないよ)

大人になると子供の頃に苦手だったものが克服されていたりする。

「何で大人はこんなヘンテコなものを有り難がるんだろう?」だとか、「すぐ死ぬからクソゲーじゃん」だとか、子供時分に評価してたものを大人になってから体験してみると、「アラ?結構イケるじゃない」なんて事はザラにある。
食わず嫌いを食わず嫌いのまま通してしまうのは勿体無い。
知らないモノへの恐怖は人間誰しも持っているが、やってみたらすっかりハマっちまう事だって世の中いっぱいあるからだ。

もっとも、経験や知識が蓄積した分、余計に嫌いになるものもあるが。

子供から大人になるってのは、ある日を境になるもんじゃないと思う。
子供みたいな大人や大人みたいな子供だって大勢いる。

大人になるという事は、経験や知識を活かす事だと思う。
「こんな事をしちゃ後で差し障りがあるかも知れないから止しとこう」
「何でも言えばいいってもんじゃないから、ここは知らないフリしとこう」
そういう腹を持ってるのが大人だと思う。
「若さはバカさ」という言葉があるが、過去を振り返ったら恥ずかしい出来事なんざ十や二十じゃきかないくらいある。

子供時分にゃ白黒ハッキリつけれても、大人になりゃあ白黒つけらんなくなる局面なんてもんが幾らも出てくる。
そこでバカを演じて結果的に得を取れるのが大人だと思う。



頑なになるんじゃなく、何でも興味を持てる大人でいたい。

疑問を持たなくなる事は、都合よく誰かに騙される事である。

小学生の頃、夏休みの宿題で「毎朝、『朝日新聞』の“天声人語”を切り取ってノートに貼って読む」というのがあった。
俺は不真面目な子供だったので、内容を全く覚えていないのだが、後々思い返すと随分恐ろしい教育を受けていたなぁ、と思う。

新聞というものは、新聞社という「企業」がそれぞれの社説(社としてのスタンス。また、それを表明したコラム)を持ち、広告を取って作っている。
つまり、自社や広告主に都合の悪い内容は載せ辛い。
また、日本のマスコミには記者クラブというものがあり、一定の報道規制がなされている。
水面下で法案が可決しかかっていたのをニュースで知る事が多いのは、こうした報道規制によるものである。
インターネットは記者クラブとは無縁であるが、自力で取材をするか、新聞記事の焼き直しも多い。
若年層を中心に新聞を読まなくなっているのは、ネットで読めるから、という理由もある。
そして、偏向報道や捏造報道が多いのにも問題がある。

例えば、沖縄県西表島のサンゴ礁に「KY」というイニシャルが彫ってあったと問題になったが、これは報道した朝日新聞の記者が「自分で彫った」捏造記事だった(詳しくは「朝日新聞 サンゴ礁」とかでググるといっぱい出てきます。そちらを参照の事)。

また、毎日新聞の英語版のサイトでは、下劣なトンデモ記事を載せていた。
その内容は、「日本で少女買春するときのヒント」、「日本の母親は高校受験のために息子に性的行為を行う」、「日本の若い看護婦は売春婦より過激」、「日本には70歳近い売春婦がいる」、「日本人がエクアドルで子供狩りをした」、「日本の主婦はコインランドリーで売春する」などと、都市伝説かよ?と言いたくなるような意味不明の内容が毎日新聞の名の下に世界中に発信されていたのである。
当然、日本をよく知らない国では真に受ける人も大勢おり、世界における日本に対する誤解を招く要因の一つとなった。

つまり、多かれ少なかれ、報道には嘘が混じっており、大半の人はそれを検証もせずに鵜呑みにする。
例えば、国会中継などは編集でカットされてた部分で重要な答弁が行われてたりして、全部観る以外に内容を把握する事は難しい。

「ニュースで言ってた」というのが真実味を持たせる言葉だったのだが、ニュース内容は常に疑わしい可能性を秘めている事を忘れてはならない。

何故ならば、人間である以上、誰も自分の主観以外の感想を他人に伝える事が出来ないからである。

「絶対的に正しい人」なんかいない。
もちろん、俺だってそうだ。

正義感は時に害悪に成り得る。
古今東西、全ての戦争は「正義」の名の下に行われてきたのだから。
正義は反対意見を許さない。
だから「人権」とか「エコ」とかそういった薄ら甘い理由をつけている運動を見ると、多少の恐怖を覚える。
「俺(私)が正しいに決まっている」という考えの基になっているのは、周囲から受けてきた影響の賜物である。
生まれ持ってある考えではない。
人間なんて所詮、生きてる間に全てを知る事など出来はしない。
「新しい事実」が発見される度、それまでの常識がアッサリ覆される。
人の世は常にオセロの如く、様々な正義が塗り替え合う世界だ。
何が正しいか正しくないか、常に考え続け、自分の今までの常識だと思っていた事も疑う必要がある。

感情にだけ任せていては、冷静な判断を下せなくなり、敵の流したデマにアッサリ引っ掛かってしまう可能性が高い。

常に疑問を持つのは、知識の第一歩である。
疑問を持たなくなる事は、都合よく誰かに騙される事である。

朝日新聞の正義―対論 戦後日本を惑わしたメディアの責任 (小学館文庫)朝日新聞の正義―対論 戦後日本を惑わしたメディアの責任 (小学館文庫)
(1999/11)
小林 よしのり、井沢 元彦 他

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プロフィール

Author:NORIMITSU
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東京生まれ。
幼少の頃、マイケル・ジャクソンの『スリラー』を観て衝撃を受けるが、持ち前の引っ込み思案が災いし、「(ダンスは)自分には無理」と諦める。
小中学校でドップリ「オタクカルチャー」にハマるが、音楽には元々興味があった為、バンドを組もうと思うようになり、ジャンケンで負けてベース担当になる。
中学卒業直後、高校入学直前に先輩たちの自主公演を観劇し感激。演劇部と音楽部(合唱部)に入部する事を固く決意する。
「10年生になったら友達100人出来るかな?」をスローガンに男女問わず声をかけまくる、いわゆる高校デビューを果たす。
バンドは「音楽性の違い」というありがちな理由で解散。ヴォーカリストを目指す。
突っ立ったまま歌うとなると、まるで橋幸夫さんのようなので、ダンスを習う事にする。
trfのSAMさんに憧れていたのだが、ダンススクールや俳優養成所でジャズダンス(某金融ショップのCMでおなじみのジャンル)とバレエを習う。
俳優養成所のダンスの先生の公演出演を通じ、立教大学のダンスサークル「St.Paul's Musical Company(現・D-mc)」に所属。
20歳の頃、SAMさんの踊ってるダンスジャンルがハウスだと知り、愕然とする。
急遽、ストリートダンスに路線変更。座右の銘は「急がば回れ」。
ダンスチームを結成してクラブイベントに出たり、ダンスの仕事をしたりして、24歳の頃にダンスインストラクターとして、ダンススクールやスポーツクラブなどでクラスを持ち、ストリートダンスを教えるようになる。

現在、落語家「三遊亭楽天」として全国各地で落語の口演を行っている。
2012年8月、六代目三遊亭円楽に入門、「楽天」と命名される。
2015年10月、「楽天」のまま二ツ目昇進。



【主な芸歴】
日本ジャズダンス芸術協会『秋の祭典』出演

H.S.ART第二回公演『BLUE』主演

東京ディズニーランド「ミッキーのダンスフィーバー」TVCM出演

テレビ東京系『RAVE2001』5thステージに「YUJI+BANRI+NORI」として出演

鈴鹿8耐前夜祭『RIDE & LIVE』TRFライヴバックダンサー出演

フジテレビ系『SMAP×SMAP』出演

お台場どっと混む!2002『遊城』Dur mollライヴバックダンサー振り付け・出演

テレビ東京系『BEATOPIA』DT CRUSH!出演

劇団東京ミルクホール公演振り付け洋舞担当

自主制作DVD『ストリートダンス ヨクワカルDVDマガジン REAL STREET』企画・振付・出演・ストリートダンス普及委員会委員長・特典小冊子「ストリートダンスがよくわかる本」執筆

SONY 50時間連続再生MP3プレイヤー 50時間連続ダンスキャンペーンダンサー

フジテレビドラマ『トップキャスター』出演

映画『バックダンサーズ!』出演

氣志團『The アイシテル』PV出演

東京ガールズコレクション 2007 AUTUMN/WINTER DJ OZMAライヴバックダンサー出演

他多数



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