norimitsu blog
ダンサー、ダンスインストラクター、振付師としても活動しているNORIMITSU@三十路の日常と雑記。 日記っつーか、エッセイっつーか、ネタ帳っつーか、思いついたままにダラダラと続けているブログです。
風邪?それとも…?
土曜日から発熱し、もうかれこれ4日間寝込んでいるが、一向に熱が下がらない。
今朝、解熱剤を飲んで病院に行ったのだが、診察の結果
「よくわからない」
というありがたい(?)診断を頂いた。
うはwwwww人生オワタ\(^o^)/

「風邪かなー?とも思うんだけどねー、はしかの症状に似た白いつぶつぶが口の中に出来てるんだよねー」

はしか?でも、予防接種受けたぜ?

しかし、はしかの予防接種を受けても抗体の抵抗力が弱まる事もあるらしく。
油断は出来ない。

ちなみに、はしかだった場合は、
「治療法は無いから、肺炎に罹ってるかどうかだけ大きい病院で診て貰ってね」
との事。
不安な事この上無い。
まぁ、養生するしかないのだが。
【好き】Lupus in Tabula(汝は人狼なりや?)
Lupus in Tabula

恋人と大ハマりしたゲームがある。
元はヨーロッパで遊ばれてきたカードゲームで、イタリアのゲームメーカーなどが製品化して販売している『Lupus in Tabula(汝は人狼なりや?)』というゲームである(通称は『人狼』。カードゲームのルールを使ったネット上での遊びも浸透しており、BBS形式やMMORPG『ウルティマオンライン』などで遊ばれていたりもする)。

このゲームは通常4人以上で遊ぶ。
内訳はゲームの進行役(ゲームマスター)が1人と残りはプレイヤーで、プレイヤーは配られたカードによって役割が決められる。
役割には「村人」、「預言者」、「ボディーガード」、「霊媒師」、「狂人」、そして「人狼」などがあり、村人として潜伏している人狼を全滅させたら村人側の勝利、村人を全滅させたら人狼側の勝利となる。
サイコロなどは一切使わず、会話によってのみ、ゲームは進行する(TRPGに分類する事も可能だろう)。

ゲームは昼と夜のフェーズに分かれている。
昼間は村人、人狼問わずプレイヤー同士で会話し、リンチにかける人物を決める。村人たちは猜疑心に囚われており、人狼と思しき人物を処刑していくのだ。
夜になると、プレイヤーは全員目を閉じ、黙る。
ゲームマスターが特殊な役割のプレイヤー(預言者、霊媒師、人狼など)をそれぞれ起こす。
預言者には今夜占う相手を決めさせ(預言者は占った相手が村人か人狼かを知る事が出来る)、霊媒師には昨日リンチした人物が人狼か否かを伝え、ボディーガードには今夜守る相手を決めさせ(ボディーガードは自分が選んだ人物を人狼が襲撃した場合、人狼の襲撃を防ぐ事が出来る)、人狼には今夜の襲撃先を決めさせる。
こうして昼に1人、夜に1人(ボディーガードが人狼の襲撃を防いだ場合は0人)ずつ減っていく。
ちなみに死人には一切の発言が認められていない場合が多い(ネットだと死後の世界の会話として死人同士での会話が可能)。

リンチとは随分と陰湿な気もするが、このゲームの面白いところは「人間の抱く印象なんて随分といい加減なものだ」という事が目に見えてわかる事にある。
アイツは怪しいから人狼なんだぜ、と思ってた相手が何の罪も無い村人だったり、逆に最後まで残ってた潔白そうな人物が人狼だったりする。
人間の判断基準なんて曖昧なもので、好き嫌いによって決定されていたりする、という事がこのゲームを通して理解できる。
更に熟達すれば、推理力が増し、嘘を見抜けたりも出来るようになる。
なかなか面白い知的遊戯なのである。
【RPG】TRPG
Table-talk Role Playing Game、略してTRPG(コンピューターRPGと区別する為に生み出された和製英語。欧米では単純にRole Playing Gameと呼ぶ。強いて区別する際はPaper and Pencil GameやTable-top Role Playing Gameという場合もある)と呼ばれる遊びが好きなのだが、どうもまだまだ一般的な存在では無い。
大抵の人はRPGと聞くと
「ああ、ドラクエとかFFの事ね」
という反応を示すからだ。
まぁ、あながち間違えじゃないけど、それらのRPGの元になった『Wizardry』の更に元になった遊びなのである。

Role Playing Gameとは和訳すれば「役割演技ゲーム」ってところ。
演技と言っても、実際に演技をするのではなく、ゲームの進行役(ゲームマスターというのが一般的)が提示した状況に対し、プレイヤーは受け持ったキャラクターを設定上、こいつはこういう行動をするだろうな、と想像しながらその行動を発言する事でゲームが進行していく。
例えば、敬虔な司祭なら信仰している神が推奨するような行動を取るだろうし、利己的な宇宙海賊なら自分の利益にならない事を極力避けようとするだろう。
そういった感じでキャラクターの行動を雑談しながら決めていくのである。

そして、行為の成否判定はサイコロやカードなどの乱数発生装置を使って決める。

子供のゴッコ遊びと違い、ゲームなのでキチンとルールが存在する。
例えば、人間のキャラクターが「空を自由に飛びたい」場合は、魔法やしかるべきアイテムなどを使わないと飛べないし、不眠不休で行動すると翌日は行動判定にペナルティを喰らったりする。

言ったら何でも出来るのでは無く、常識(ルール)を越えた行為は行えないのである。そこにある種のリアリティが生まれ、単なる文字の羅列に過ぎないキャラクターに愛着も湧くのだ。

一応シナリオがあり、ゲームマスターが出来事や状況を提示する。もちろん、プレイヤーはシナリオの内容を知らないので、想定外の行動を起こしてくる。それに対してアドリブで対処していくので、即興劇のような感じでみんなでストーリーを紡ぎ出していく。これがメチャクチャ楽しい。
田島昭宇の漫画『魍魎戦記MADARA』、『多重人格探偵サイコ』などの原作者として有名な大塚英志は、著書『キャラクター小説の作り方』でTRPGは作家が物語を作る上での教材となる、とTRPGから小説になり、パソコンゲームにアニメ、コミックスと様々なメディアミックス展開を見せた水野良『ロードス島戦記』を例に語っている。
また、『巨人の星』の星飛遊馬や『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ役で有名な声優の古谷徹も「役者の育成に効果を発揮しそうだ」と語っている(『季刊R.P.G.』第2号インタビュー)。

オイラは小学生の頃にこの遊びに出会い、高校生の始めくらいまでハマっていた。
中学生の頃はドップリ浸かっていたと言っても過言では無い。
オリジナルのゲームを作ろうとして挫折したりしたのも、いい思い出である。

1974年にアメリカで『Dungeons & Dragons(通称D&D)』が発売されて以来、世界中で親しまれてきた。
日本では80年代後半から90年代前半に微妙なブームになったが、今一つ盛り上がりに欠け、一部の人たちにしか遊ばれなかった。
本家アメリカではコントのネタになるくらい知名度がある(ちなみに映画『E.T.』の冒頭で子供たちが『D&D』を遊んでいる)が、日本では殆どの人が存在自体を知らないくらいマイナーである。

D&Dをネタにしたコント


流行らなかった理由は色々あるだろうが、大きな理由として「手間暇がかかる」、「ルールや世界観などが理解しづらい」というのが挙げられるだろう。
特に世界観というのはかなり重要なファクターなので、あまり本を読まなかったり、ゲームやアニメなどに疎い人はそれだけで拒絶反応を示すだろう。
しかし、同じ趣味を持った者同士ならば話は早い。さも同じ異世界に暮らす仲間のように、世界観を共有出来るのだ。
まぁ、昨今では映画や小説、オンラインゲームなどの影響により、10数年前に比べてファンタジーやRPGの世界観が一般にも浸透してきているので、エルフとかドワーフだとかホビット、ゴブリンなどの単語が容易に通じたり、
「アラゴルンみたいな戦士になってオークやトロールをやっつけたりする」
といった説明も通用するようになってきた。

出版業界やホビーメーカーもTRPG復興に力を入れる会社が出てきているので、頑張って復活して欲しいところだ。
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ジョナサン トゥイート、スキップ ウィリアムズ 他 (2005/01/29)
ホビージャパン

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基礎体力が落ちているので
ここ暫く、色んなレッスンを受けている。
自分なりのやり方だと怠けて体力は落ちる一方なので、キツいクラスを選んで受けている。

CAPOEIRAPOPPIN'、自分と違うスタイルのHOUSEHIPHOPなどのクラスを受けると、
「ああ、俺はこの部分を使ってないんだなー」
としみじみ思う。

最初は筋肉痛が三日間くらい抜けなかったのだが、しばらく続けているうちに筋肉痛は軽くなっていった。

今はまだストリート系のクラスばかりなので、久々に(12年振り!!!!!)BALLETやJAZZ DANCEのクラスも受けたいと思っている。
どのジャンルも素直に楽しく感じる。
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【ダンス】ガチャピンとムックのダンス。
ガチャピンはいつも中の人が入れ替わってるので、色んな事にチャレンジしているが、ストリートダンスまで披露するとは思わなかったwww

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【ダンス解説】SOUL DANCE(ソウルダンス)
ソウル(SOUL)は1950年代から1960年代の初期にかけて、アメリカ黒人のゴスペルとブルースから発展して生まれた音楽である。
時が経つにつれて、R&Bが広範囲にわたって発展・拡大したスタイルを指して、「SOUL MUSIC(ソウル・ミュージック)」と呼ぶようになった。

1970年頃、LAで『SOUL TRAIN』というダンス番組が放映された。
やがてこの番組内で踊られるダンスを「SOUL DANCE(ソウル・ダンス)」と呼ぶようになり、アメリカ国内外で大ブームを巻き起こし、現在に至るまで様々な人々を魅了してきた。

ソウル・ダンスは明確なジャンル分けはしづらく、黒人の持つノリそのものであると言える踊りである。
ソウルステップやパンキングをソウルダンスとして分類しているが、ここからここまで、とは言えず、現在ストリートダンスとして踊られている立ち踊り全般をソウルとして括ろうと思えば出来てしまう。
それだけ、既にソウルの動きの中に今踊られているダンスの基本的な動きが網羅されているのである。

特にロッキンポッピンを理解するには重要なダンスである。
もちろん、ソウルを習わなくても踊る事は出来る。
しかし、やれば飛躍的に黒人ダンス全般に対する理解が深まる事も確かなのである。

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【ダンス解説】アニメーション(ANIMATION)
POPPIN'の1スタイル。
ウェーヴやティッキング、ストロボ、ヒット(ポップ)、ヴァイブレーションなどを使って踊る。

ELECTRIC BOOGALOOSのメンバーは「サイクロプス」というムーヴを創ったが、これもアニメーションと言える。
サイクロプスはレイ・ハリーハウゼンの特撮映画『シンドバッド 七回目の航海』に出てくる一ツ目巨人の名前で、ダイナメーションと呼ばれる技術で撮影したもの。
ダイナメーションとは、中に骨組みを入れたフィギュアを少しずつ動かしながら、一コマ一コマ撮影していく方式で、現在では『ウォレスとグルミット』や『ピングー』などのクレイアニメ(粘土アニメ)に受け継がれている撮影方法である。
この技術で撮影するとコマ撮り特有のギクシャクした動きになり、その動きを再現したものが「サイクロプス」である。

現在のアニメーションは何かの動きの再現もあるが、POPPIN'とHIPHOPが混ざったような音ハメダンスのチームのジャンルとしても浸透している。

ダンス・スタイル・アニメーション ダンス・スタイル・アニメーション
はむつんサーブ/無名の心 (2007/03/10)
ビデオメーカー

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【音楽】Digitalism / デジタル主義
デジタル主義

01 Magnets
02 Zdarlight
03 I Want I Want
04 Idealistic
05 Digitalism In Cairo
06 Departure From Cairo
07 Pogo
08 Moonlight
09 Anything new
10 The Pulse
11 Homezone
12 Apollo-Gize
13 Jupiter Approach
14 Jupiter Room
15 Echoes







ダフトパンクのリミックスとかも手掛けてるドイツの2人組アーティストDigitalismのデビューアルバム。
基本的にはノイジーな打ち込みで、意外と昔ながらのBREAK BEATSっぽいリズムだったりするので、結構踊りやすい。
曲によってはブレイキンアニメーションハウスを踊ると良さそうなのがある。
喰わず嫌いで聴かないより、一度聴いてみる事をオススメする。
デジタル主義(初回限定盤) デジタル主義(初回限定盤)
デジタリズム (2007/05/09)
東芝EMI

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【好き】押井守
『胡蝶の夢』という、中国の古い説話がある。

蝶になった夢を見た男が、目覚めてから『果たして本当の自分は何だろうか?本当の自分と思っているのは、蝶が見た夢では無いのだろうか』と考える。



『胡蝶の夢』は、押井守監督の得意とするモチーフである。

高橋留美子原作『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』に始まり、かの『MATRIX』の元ネタである士郎正宗原作『攻殻機動隊』、その続編『イノセンス』、実写映画『Avalon』と実に多くの作品に胡蝶の夢ネタが見られる。



また、ゆうきまさみ原作『機動警察パトレイバー』制作スタッフ“ヘッドギア”メンバーでもある。
劇場版パトレイバーは秀逸な作品だと思うが、特に一作目は娯楽性もあり、何より17年前の作品にしてサイバーテロがテーマである辺り、その先見性の高さは目を見張るものがある。

『踊る大捜査線』の本広克行監督は押井守監督作品のアニメ版パトレイバーを観て、『踊る〜』を考えたという。

押井守監督は、国内外の映画監督に影響を与える、素晴らしい監督だと思う。

機動警察パトレイバー 劇場版 機動警察パトレイバー 劇場版
ヘッドギア、 他 (2004/01/23)
バンダイビジュアル

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【ダンス】『DANCE FIELD LESSON 1』
DANCE FIELD LESSON 1

オイラはELETE FORCEの大ファンである。
特にLINKとTERRYが好きなのだが、この『DANCE FIELD LESSON 1』は彼らのソロとレクチャーが入った至高の逸品である。

TERRYのレクチャーは当時、覚えて何回も踊り込んだステップなので、今観返すと感慨深いものがある。



これが出たのは1997年。今から10年前の作品である。

やはり今のレベルから観ると多少雑な感じは否めないが、ソロなんかはもう、何回観たって飽きないし、今だに興奮するものがある。

彼らのショーはHIPHOPハウスの垣根が無く、音楽のノリ方を変えているだけに見える。そこが堪らなくいい。まさにフリースタイルな感じである。

HIPHOPとハウスのダンスを理解する上で貴重な資料だ。
DVDとして再販して欲しい一本である(現在は絶版)。

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【DVD】TOKYO INDEPENDENT ALMA
TOKYO INDEPENDENT ALMA

最近、やたらとダンサーもののDVDが増えた。
大手CDショップではダンスDVDのコーナーもあり、ある程度の需要がある事が知れる。
そのダンサーDVDブームのハシリとも言える一枚がコレ、『TOKYO INDEPENDENT ALMA』である。



今、最も人気が高い日本のハウスチーム、“ALMA”を軸に日本のストリートダンス界を紹介していくDVDで、何とDJ HONDAのレーベルからリリースされている。

アーティストのPVのダンサー版という感じで、ダンサー以外の人が観ても充分楽しめる一枚だと思う。

唯一の難点は、やや編集過多で、ダンスをしっかり見たい人はストレスを感じるかも知れない(2作目、3作目では改善されている)。

しかし、ハウスの基本ステップを中心としたルーティンは親切かつ丁寧な仕事だと思う。
これがハウスってダンスなのか、って分かり易いのである。

ハウスってジャンルはとにかくショーとして魅せるのが難しいジャンルだと思う。
しかし、ALMAというチームは、一人一人の個性が際立ち、かつ、安定した基礎とノリ、丁寧で細やかなステップが同居し、ショーとして完成している、希有なハウスチームなのである。

また、ハウス黎明期からシーンを作ってきた“ROOTS”のKOJIさん、HYROSSHIさんがメンバーであるだけあって、インタビューで出てくる単語がマニアックで濃ゆい。
(;´∀`)
KOJIさんがハウスダンサーに興味を持ったキッカケだというレイラ・ハザウェイの『Baby Don't Cry』のPVの話だとか、カリーフ、ピーター・ポールなどNYのハウスダンサーの名前だとか、インタビューだけでもかなり資料的価値が高い(注釈が無いから活かすのが難しいかも知れないけど…)。

買ってソンは無い一枚である。

TOKYO INDEPENDENT Vol.1 TOKYO INDEPENDENT Vol.1
YUKI、MAI 他 (2004/03/17)
dj honda RECORDING

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【音楽】DJ KAWASAKI / BEAUTIFUL TOO
BEAUTIFUL TOO

1 Release The Light (Dj Kawasaki Remix) / Jazzida Grande
2 Let's Get Started Feat.Kelli Sae (Dj Kawasaki Remix) / Seikou Nagaoka
3 Endless Flight (Dj Kawasaki Remix) / Kyoto Jazz Massive
4 Bright Like Light Feat.Lena Fujii / Dj Kawasaki
5 KawasakiRemind Me Feat.Rasiyah / Joyride
6 Shine Feat.Diviniti / Shuya Okino
7 Sweet Way (DJ KawasakiI Remix〜Moog Solo Version) / Hajime Yoshizawa
8 Promises Feat.Terrance Downs (Rasmus Faber Remix) / Dj Kawasaki
9 Let Go (Unreleased Ver.) / Ernesto
10 Isn't She Lovely (Dj Kawasaki Remix) / Studio Apartment







前作『BEAUTIFUL』 で人気を博したDJ KAWASAKIの2枚目!!!!!
新曲の他にREMIX作品など、他のアーティストの曲も入ってる。
ピアノの美メロは健在です。

DJ KAWASAKIファン、ハウスファン必聴の一枚。


ジャケの綺麗なモデルのお姉さん(藤井リナ)も健在ですw

BEAUTIFUL TOO BEAUTIFUL TOO
DJ KAWASAKI、JAZZIDA GRANDE feat.MONDAY MICHIRU 他 (2007/01/01)
コロムビアミュージックエンタテインメント

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【DVD】KINETIC ARTS presents HOUSE DANCE REVOLUTION
『KINETIC ARTS presents HOUSE DANCE REVOLUTION −8dancers in N.Y−』というダンスDVDを観た。

KOJI(ROOTS/ALMA)、KANGO(ROOTS)、YAN-C(ZERO db)、HIRO(ALMA)、PINO(ALMA/ZENITH)、NAO(SO DEEP)、UEMATSU(SO DEEP)、HARUHIKO(IRIE)(敬称略)という8人の日本人ハウスダンサーがNYの色んな場所で踊るという内容で、ハウスというダンスや音楽が好きな人には堪らない1枚だと思う。



最近、ようやく資料が揃い始めてきたハウスダンスシーンだが、NYのオリジネーターたちが口を酸っぱくして言う

「ハウスはハッピーなダンスなんだ」

という事が日本にもようやく伝わり始めているように思う。

今までハウスとHIPHOPの最大の違いである精神性が、まだまだ日本にはきちんと伝わっていなかった。

しかし、このDVDのダンサーたちはとても自由に楽しんで踊っており、特にKANGOさんの言葉には強い感銘を受けた。

やはり先達の言葉は、深い。






ちなみに音楽はハウスダンサーにはお馴染み、DJ KAZ(Project 301)が担当しており、映像だけじゃなく音楽面も素晴らしい。
KINETIC ARTS presents HOUSE DANCE REVOLUTION -8dancers in N.Y- KINETIC ARTS presents HOUSE DANCE REVOLUTION -8dancers in N.Y-
ダンス (2006/12/15)
イーネットフロンティア

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【ダンスFAQ】チームの組み方。
ある程度踊ってるとチームを組んで踊りたくなってくる。
いつも練習している場所や、習っているスクールで打ち解けた人とチームを組む事もあるだろうし、ネットで知り合った人、ダンスサークルや部活の仲間と組む人も多い。

それでも、ダンスサイトの掲示板には「どうやったらチームが組めるんでしょうか?」といった内容の書き込みが多い。

まぁ、ダンスを始めるキッカケが何だってアリなように、人の出会いも何だってアリだと思う。
オイラの場合はスクールの仲間と「さらまんた」、サークルの仲間と「てるおはるお」、「OFF THE LOCK」、イベントを開催してた仲間と「ONE BOUND ALL STARS」、後輩と「YUJI+BANRI+NORI」、オーディションで知り合った友人と「魂揺(SOUL SHAKERS)」、ネットでメル友状態になった顔見知りの友人と「GARUDA」、同い年のダンサー同士で集まった「S-501」、生徒と「GRIFFON」、「GARGOYLE」、更に友人を加えて「Drei Ratsel」、スタジオのインストラクター同士で組んだ「あいのりGO!GO!」などのチームを組んで踊ってきた。

それぞれ長く続いたチームもあれば、単発で終わってしまったものもある。

ただ、仲がいいから組んだチームより、気心が知れた仲間や友人とぶつかりながらも色々アイディアや方向性を話し合って決めたチームの方が長続きする。

一つのチームでじっくり腰を据えて活動する方法もあれば、その都度、気の合う仲間を募る方法もあるし、その両方を実践している人もいる。

チームは恋人に似ている。
ただ闇雲に「誰でもいいから付き合いたい」ではなく、「あの子と付き合いたい」という方が余程具体的である。
チームも同じで、誰々と一緒に踊りたい、となれば話は早いはずだ。
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【ダンス】CLUBイベントについて。
ダンスイベントに行かなくなって久しい。
どちらかっちゅーとDJタイムオンリーか、ショータイムの割合が低いイベントがお好みである。



オーガナイザーとしてはハコ代を回収し、更に利益を上げなければならないのはわかるし、自然と発表の場が少ないダンサーに出演出来る場を与えてノルマを課し、一見利害関係が一致しているように見えるが、ロクにどんなダンスチームなのかリサーチもせず、ノルマがはけるから、という理由で誰でもいいから出す、という状況に不満が募る。

なんというか、その現状に疑問を抱かないダンサーたちも哀しい。

かといってノルマ無しで誰でも彼でも出す、というのはもっとダメだと思う。イベントの質が落ちると思うのだ。



一番いいのはオーガナイザーやスタッフが自分の足で見つけたダンサーが出演しているケースだろう。
イベントのコンセプトも明確に見えて来るし。
選別される事でダンサーも意識が高まるだろうし。

最近のイベントは特にどこに行っても出演者がかぶっていてイベント毎の色が無いところが多い。
一晩に20チームも観ればお腹いっぱいである。

悔しいのはショータイムが長過ぎてせっかくCLUBに遊びに来てるのに踊れない時である。
もっとゆっくり観たいし、ガッツリ踊りたい。

昔のCLUBイベントみたいなイベントが増えたらいいなぁ。
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【ダンス】ムーヴのサプリメント化。
テレビやビデオといったメディアはダンスシーンに大きな変革をもたらした。
その一つにムーヴのサプリメント化が挙げられるだろう。

情報が少なければ、自然とメディアを頼る。
そのメディアの鮮度が高ければ新しいものとして認知される。

様々な踊り方があって然るべきなのだが、メディアによる爆発的な情報の発信はシーンの裾野を広げるのと同時に情報の均一化を招く。
この人独自の動き、というものは一度メディアに乗れば世界中のダンス好事家たちの知るところとなる。

繰り返し同じ動きを研究出来るビデオ(DVD、ネットの動画)という存在はたまたま一瞬行われた動きを反復練習するのにいい教材だが、魅力的な動きほど色んな人に研究され、広まっていく。

最近のダンサーのレベルが高いのは情報量に比例しているとも言える。
情報量が豊富かつ、よりレベルの高い技術に触れる機会がある。
これは素晴らしい事だ。
例えばスクールの無い地域にダンスの情報を届ける事が出来るからである。
しかし、同時に本質的な文化や歴史的背景を学んでいかないと形骸化していく危険性を孕んでいる。
そして、オリジナリティの低いダンサーも爆発的に増えていく。
それが悪いとは言わない。
しかし、そこで満足して止まっては志が低いと言わざるを得ないだろう。踊るという行為自体を愛しているとは言えないと思うからである。
動きをトレース出来るようになったら、それを自分なりに崩していく。それでようやく自分の動きとなるのだ。

「スクールに行くよりもCLUBに行った方が上手くなる」
とは『DANCE STYLE BASIC(ムック)』におけるSound Cream SteppersのYUKIさんの言。
正におっしゃる通り。


ダンスは次々と消費していくものでは無い。
やはりCLUBや劇場に足を運び、生で観る、それが一番いい。
技術だけを延々学んでも仕方が無い。
そのダンサーの生み出す迫力、その場のノリ、雰囲気。そうしたフィーリングが混然一体となったライブ感がダンスショータイムの魅力だから。
ダンス・スタイル・ベイシック ダンス・スタイル・ベイシック
(1999/10)
リットーミュージック

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【ダンスFAQ】バックダンサーについて。
オイラは今まで何組かのアーティストのバックダンサーとして踊ったり振り付けをしてきた。

1994年にO・HE・SOという当時所属していた事務所の先輩のアイドルのバックダンサーをやり、1998年にはメジャーデビュー直前のAN-Jのバックダンサーの振り付け、出演。
2000年にTRFのサポートダンサーとして鈴鹿8耐の前夜祭で踊り、2001年から友達であるDur mollのバックダンサーと振り付けをしている。

O・HE・SOのは事務所からの仕事だった。
TRFはオーディションを受けて受かった。
AN-JとDur mollは友達だから頼まれた、という感じである。

よく、ダンス系のサイトの掲示板に
   「どうしたら○○のバックダンサーになれますか?」
というのが多いが、大半はコネである。

習ってる先生、先輩や友達などから回ってくる場合がほとんどである。
オイラもSMAPのツアーの話が回ってきた事がある。
メジャーアーティストの場合は特にコネだ。
というのも、やはり公開オーディションをやる手間を考えたら、信頼の置ける人に頼めば手っ取り早いからである。

稀に公開オーディションがある。
オイラはTRFを2回受けて1回落ち、サザンオールスターズで1回落ちた。
(;´∀`)

しかし、オーディションは楽しいし、勉強になる。
受かった人を見て、どんなダンサーが受かるかが分かるし。

クライアントが欲している基準が毎回変わるので、一度落ちたからといってダメという訳では無い。
まぁ、足りない部分はあるだろうから、研鑽を積み、再挑戦すればよい。

オイラはTRFのバックダンサーのオーディションに一度落ちたが、2回目は受かった。



コネにしろ、公開オーディションにしろ、事務所からの仕事にしろ、声がかかった時にすぐに動けるようにしたいものである。
また、結局はダンサーは人と人との繋がりで仕事をしている個人事業主であるので、仲間は作っても敵は作らない方がいい。

バックダンサーとして仕事をしていくには、実力と社交性が必要である。
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ドレッドの話。
ドレッド

今から7年ほど前、ドレッドにしていた。
いわゆるバックコームドレッドという編み方で、一度アフロにしてから、毛を小分け(ブロッキング)して、三つ編みにしていく。このとき毛の根元に向かって櫛で詰めていくので、バックコームという。
ドレッドにして一週間くらいは、常に髪の毛を引っ張られてるような痛みがあったが、馴染む頃になると、自然な感じになる。
ドレッドにすると、肩くらいまで伸ばしていた髪が耳くらいまで縮んだ。
『RAVE2001』に出演するのをキッカケに、そこから更にエクステンションを足して肩を越すくらいの長さにした。


ドレッドは垂らしたまま踊ると、毛束が顔にビシバシ当たって痛い。
その為、側頭部の毛束を左右から掴み、オールバックにして後ろで結んでいた。
こうすると毛束が顔にかからないので、踊っていても邪魔にならないのである。
また、髪留めのゴムで大きな輪っかを作り、それを首からかけた後、やはりオールバック状態にして髪を留めていたりした。


ドレッドにしていると洗髪はどうするのか?とよく訊かれた。
まぁ、普通に洗えるのだが、あまり頻繁に洗うとほどけ易くなるし、アフロで膨らんでいるボリュームが減る為、たまにしか洗わない人が殆どだと思う。
オイラはLUX SUPER RICHを使っていたのだが、シルクプロテインの無駄遣いだったと言えるだろう。
普通、ドレッド用シャンプーによる手入れが一般的である。


困ったのはスーツを着ると単なるガラの悪い人になる事である。
祖父の法事でスーツを着なければならなくなり、着たところ、自分でも
   これってどうなの?
とツッコミを入れたくなるほどイカちくなってしまい、親に呆れられた。
(;´∀`)

結局、一年半くらいドレッドを維持し、最後は坊主にした。
ブロッキングの跡が暫く取れず、縞模様が浮かぶ坊主だったので、
   「これがホントの“虎刈り”だね」
と笑えないギャグを祖母に言われたりした。
(;´Д`)


機会があればまた挑戦したい髪型である。
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【ダンス】ストリートダンスを踊るのに、バレエは必要か、否か。
よく、
「昔、ジャズダンスとバレエから始めたんです」
と言うと、
「基礎からしっかりやってるんですね」
と言われる。


また、ストリートダンスサイトの掲示板上でも、
「ダンスの基礎はジャズダンスとバレエ」
という発言をよく見かける。


日本では、『ジャズダンスとバレエはダンスの基本』という概念は常識に近いのだと感じる。
しかし、果たしてそうなのだろうか?




広義の意味でのジャズダンス(狭義では「バレエの基礎が混ざった後のジャズダンス」、即ち、今現在踊られているジャズダンスの事を指し、広義では「バレエの基礎が混ざる以前のジャズダンス」も含む、と定義したい)は、ストリートダンスとも関係がある。
むしろ、1920年以降にアメリカで生まれた殆どの立ち踊りは、広義の意味のジャズダンスとソウルダンスから強い影響を受けていると言える(ブレイキンのトップロックやアップロックは除く)。広義の意味においてのみ、「ジャズダンス」は基礎的なダンス、とも言える。しかし、「ダンスの基礎はジャズダンスとバレエ」という発言では、バレエが混ざった後のジャズダンスを指している。ここでは敢えて混乱を防ぐ意味でも、「ストリートダンスを踊るのに、バレエは必要か、否か」とした。




ブレイキンを踊る際、バレエの要素は微塵も無い。
ロッキン然り、ポッピン然り、ミドルスクール然り、である。
ストリートダンスを踊るのに、バレエが必要不可欠だ、とは思えない。




フリースタイルであるニュースクール、即ち、今現在のヒップホップハウスは、様々なダンスジャンルの影響を受けており、例えばパドブレやターンなど、バレエの影響を見つける事は可能であるが、かなり変容しており、逆に現在のジャズダンスやバレエの癖が残っていると気持ち悪い踊り方になる。


オイラもジャズダンスとバレエからストリートダンスに転向する際、それで苦労した。


きっちり踊り分けが出来るなら手を出してもいいが、踊り分けが出来ないのなら、」どっちつかずになり、どちらの技術も伸びない。




ただ、プロダンサーになろうという人は、齧っておいて損は無い。


ダンサーの仕事は自分が踊るだけに非ず。
振り付けという仕事は、「〜らしさ」を具体化する作業である。
「アイドルっぽい感じ」や「サンバっぽい感じ」、「バレエっぽい感じ」、「宇宙っぽい感じ」、「今っぽい感じ」など、抽象的な依頼内容を表現出来なければならない。
動きやイメージの引き出しが多ければ多いほど、対処しやすい。
また、流行ったCMや振り付け(マツケンサンバや武富士など)、映画など様々なものに興味を持ち、何でもヒントにする力が必要になる。


また、もし自分がコンテストの審査員になったとして、自分がよく知らないジャンルのチームを評価しなければならなくなったとしたら?
プロならば知らないという言い訳は通用しない。最低限の知識は学んでおくべきだろう。


そんな訳で、ストリートダンスを踊るのには不必要だけど、やっとくと便利なものだと思う。
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松平健 (2004/12/15)
ジェネオン エンタテインメント

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【書籍】悪魔に魅せられし者
若い人には馴染みが無いかも知れないが、昔、ゲームブックというものが流行った。
ゲームブックというのは小説風の読み物が分岐しており、その分岐の選択如何によってストーリーが変わっていくものだ。
途中、罠や戦闘などがあり、その際は読み始める前に作成しておいたキャラクターシートの能力値とサイコロによる乱数で成否判定する。


今から21年前、1986年に東京創元社から発売されたゲームブック、『悪魔に魅せられし者』が創土社から復刊された。

『悪魔に魅せられし者』は鈴木直人氏のゲームブックで、ナムコのゲーム『ドルアーガの塔』をモティーフに作られた三部作の一作目である。
また、TRPGの元祖『D&D』の世界観も多少受け継いでおり、迷路の中で遭遇するモンスターの中にはD&Dオリジナルモンスターも登場する。


当時、アイテムによるパワーアップするしか無かったゲームブック業界に経験値によるレベルアップという概念を持ち込んだ作品でもある。
また、大抵のゲームブックが一方通行な中、この作品は自由度が高く、塔の中をある程度自由に歩き回れるシステムになっており、この作品に影響を受けたゲームブック作家は多いと思われる。


当時、小学生だったオイラはこれにハマり、毎日学校に持っていったものだ。

ゲームブックを自作したり、TRPGで遊んでいたオイラがハマらない訳が無かった。
しかし、ゲームブックの人気は下火になり、TRPGの衰退と運命を共にした。

しかし、昨今のTRPG復活の盛り上がりに便乗するかの如く、次々ゲームブックの良作が復刊されているのは、大変喜ばしい事である。

指輪物語ハリーポッターなどのヒット、また、FF11を筆頭にオンラインゲームの流行により、ファンタジー作品やTRPGに対する垣根はだいぶ低い状態にある。
20年前には想像すらしえなかった。

素晴らしい世の中になってきたものだ。
悪魔に魅せられし者 悪魔に魅せられし者
鈴木 直人 (2007/01)
創土社

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【ダンス】踊り易くする工夫。
ジャズシューズというものは靴底が革製なので水を含む。
なので、スタジオの床の隅には濡れ雑巾が常備されており、滑り止めの意味で濡れ雑巾を踏み、靴底に水分を与える。
逆に滑り易くする為に爪先の方に布ガムテを貼ったりもする。

ストリートダンサーも靴底に布ガムテを貼ったりする。
やはり滑りやすくする為であり、スライドやフロートがやりやすくなる。

昔、HOUSEのダンサーの間でCLUBのフロアにベビーパウダーを撒くのが流行った。
ベビーパウダーを撒くと床がよく滑り、細かいステップが踏みやすくなるからである。
しかし、ショータイムにこれをやると自分たちは良くても次に踊る人たちの迷惑になるし、CLUBは密閉空間なのでベビーパウダー臭くなるのが難点だった。だから、最近はあまり見かけない。

まぁ、パウダーじゃなくてもCLUBの床なんていうものは、誰かが零したドリンクで濡れてたりするから、やたら滑ったり、逆にベタついたりする。
ある程度踊れるようになったら床のコンディションに関係無く踊れなきゃダメだと思うが、初心者にはかなり厳しい状況だから零さないように注意したい。



B系のパンツは裾を踏んでしまうから、髪留めのゴムですぼめてしまうのも有効だが、更に便利にする為に、裾の内側を少し開けて、足首周りの長さのゴムを入れて行き、頭と尻を結んで輪にしたら、開けた部分を縫ってしまう。そうするとスウェットパンツみたいに裾がすぼまるパンツが完成する。輪を調節すればあまり極端にすぼまらせずに済む。靴に引っ掛かって落ちない程度にも出来るので、いらなくなったパンツなどで一度試してみるといい。



オイラは衣装もダンスの一部だと思うので、帽子やアクセサリーの類いは踊ってて落ちるようなら落ちないようにしておくべきだと思う。
帽子の類いはヘアピンなどで留められる。

え?坊主はどうするかって?
バンダナをキツめに巻いて、その上から帽子を被り、ピンで留めればよいと思う。



衣装は男よりも女の子の方が気を遣ってるから、女の子に色々教えて貰うのもいいかも知れない。
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【昔話】ストリートダンスとオイラ。【1995〜2000】
【昔話】十九、二十歳。【1994〜1995】からの続き。



大好きなSPICEのHOUSEを習えるようになり、HOUSEという踊りに対する興味は広がっていった。
SPICEというチームは元々、ヘルス&スポーツ学院というダンスの専門学校の卒業生が結成したチームで、メンバーはあらゆるダンススタイルを踊りこなしていた。
その先生たちの
「どんな曲でも踊れた方がいい」
という言葉を受けて、オイラもHOUSE以外のストリートダンスにも興味を持つようになっていった。



JAZZを最初に習った田畑先生は昔、DISCOでファンキーフルーツというジャンルのダンスを踊っていた。
ファンキーフルーツというのは、LOCKIN'に非常によく似たダンスである(ファンキーフルーツについてはJINさんのサイトが詳しい)。
たまにファンキーフルーツっぽい振り付けをしてくれた時にオイラが喜んでいるのを見た先生は、
「のり、こういうのがやりたかったら、さくちゃんとこ行くといいよ」
と言ってくれた。
さくちゃん、とはSpartanic Rockersの佐久間浩之先生の事である。昔ながらの友達らしい。


しかし、田畑先生に習っていた頃は田畑先生以外の先生に習う気が全く無かったので、行かなかったのだが、22歳くらいの頃、立教で知り合った谷口浩久(TANNIE)という友人(OFF THE LOCKというチームを組み、CONNECTなどでしばらく活動した仲間の一人)がLOCKIN'に興味を示し、佐久間さんに習い始めたと聞き、スクールに連れて行ってもらった。



「おー、タバっちゃんに習ってたんだ?懐かしいなぁ。タバっちゃん、元気?」
佐久間さんは凄い気さくに話してくれた。
クラスはまるで大学の講義のようだった。
ステップ毎の名前や由来を教えてくれた。
ダンスの生き字引みたいな先生だ。

しばらく佐久間さんのSOUL LOCKIN'のクラスに通ったり、同じスクールのHIDEKAZUさんのHIPHOPSTAX GROOVEのSHUNさんのBE BOPもかじったりした。



TANNIEは当時、やはり試行錯誤をしていて、LOCKIN'やBE BOP、CAPOEIRAなど様々なクラスを受けまくっていた。
友人のそんな姿勢に刺激を受け、オイラもやはり色んなスクールに行きまくった。
先生によって考え方も教え方も違う。
それが面白かった。

段々と動きの骨組みみたいなものが理解出来るようになった。
そうなると、他人の動きを見て盗めるようになった。
スクールに通わず、CLUBに通うようになった。


CLUBのダンサーたちは生きた教材だった。
観察して動きを盗み、練習する。たまにバトルを仕掛けたりもした。
見知らぬ他人だったダンサーたちと仲良く踊るのにハマっていった。
中にはとんでもなく上手い人がいて、あっさりとやっつけられちゃったりもしてたんだけど。



スクールに通わなくなり、サークルも行かなくなり、チームのメンバーと外で練習するようになって、次第に
「オリジナリティって何だろう?」
と悩むようになった。
人の動きをパクるのには慣れたのだが、そっくりに踊っても、それは自分らしさのカケラもない動きだ。



SARAさんは毎回、
「オレの真似はするな!」
と口をすっぱくして言っていた。
スクールでダンスを習うのが当たり前だったから、何故真似しちゃいけないのか、よくわかってなかった。
しかし、その言葉の意味に気づいた時、自分が今までやってきた事を否定したくなってしまった。

自分なりの動きを探そう。そう思って踊り方を変えた。
柔らかい動きを硬く。しかし、それも誰かの真似のような気がして。
スランプに陥っていた。

形にこだわり過ぎていたのだと思う。
単純に音を聴いてノるのでは無く、考えながら動いていた。
踊りでは無く、動きをなぞっていただけだった。

自由に踊りたかったはずなのに。

そして、先生の伝えようとしていた事がわかって無かった事を後悔した。



しかし、この頃、何故か先生たちから頻繁に代行を任されるようになってきた。
SPICEの面々の代行が出来るのは嬉しかった。
しかし、同時に
「自分の踊りって何だろう?」
と悩んでいた。



24歳の頃、D-mcと名前が変わって久しいM研の後輩であるゆうじくんと電話で話していた。
「ゆうじくん、RAVE出ない?」
「のりさん、RAVE出ませんか?」
ほぼ同時に同じ事を言っていた。

当時、SAMさんがナビゲートするダンス番組『RAVE2001』がやっていた。
「とりあえずやってみよう」
2人だと寂しいから、そんな理由でゆうじくんは友達に声をかけて連れてきた。
万里というその青年は、借りてきた猫のように物静かだったが、たまたま漫画の話を振ったところ、異様なまでの情熱を持って語り出した。
以来仲良くなり、よく連むようになった。

無事、オーディションに受かり、『YUJI+BANRI+NORI』として出演した。

ゆうじくんは大学卒業後、地方に就職が決まっており、このメンバーでは一度だけしか踊っていない。



その年の初夏、オーディションがあった。
trfが鈴鹿8耐の前夜祭のライブをする。その時に一緒に踊る100人のダンサーのオーディションだった。

物凄い人数が集まり、ほぼ一日かけて100人が選ばれた。
どうにかその中に入る事が出来た。そこから更に追加曲のオーディションがあり、20人の中に入れた。2曲分の振り付けを覚えるのは大変だったが、嬉しさに震えた。



鈴鹿に行く前日の晩、CLUBで酒を飲んで踊っていた。
何も考えずにただ暴れていると、それが段々と心地良くなってきた。
馬鹿みたいに踊った。
誰が観てる訳でも無いし、楽しければいいや。
そう思って汗だくになって踊りまくった。
汗でアルコールが抜けても、まだ踊り続けた。
次はこのリズムに合わせよう。
形じゃなく、音を取る事だけを考えた。
いつしかそれすらも考えずに、ただ音楽に身を委ねていた。

それを見ていた友人に、
「のりちゃん、凄い楽しそうだったよ。何か殻が取れたみたいだった」
と言われた。

ヘトヘトになったけど、気持ちは晴れ晴れとしていた。
踊るって楽しいなぁ、そう実感した。

CLUBから始発で帰宅して、まとめておいた衣装などの荷物を掴んで家を出た。
新宿の高速バス乗り場に集合して、鈴鹿に向かった。
オーディションの日以来、一度だけavexでリハーサルをした。
それ以来だったので、不安もあったが、本番が楽しみだった。

現地に着くと、旅館に荷物を置いてのんびりした。
夜にゲネ(本番同様のリハ)をしている途中、雨で中止になり、不安になる。

翌朝から再びリハーサル。
炎天下のサーキット場周辺は日差しを遮るものも少なく、汗だくになりながら、ひたすら踊りまくった。
段々と他のダンサーたちとも打ち解けてきて、楽しくて仕方なくなった。

本番はメチャクチャ楽しかった。
trfの歌じゃないが、
「20世紀で最高の出来事」
だった。



こうして、20世紀最後の夏が終わった。





ある日、スクールの先輩から声をかけられた。
「田中くん、スポーツクラブでHIPHOP教えない?」
二つ返事で引き受けた。
自分の受け持ちのクラスが持てる!

更に友達づてにスポーツクラブでHOUSEを教えないか、という話が来た。
バイトとインストラクターという二足のわらじ生活が始まったのだった。

サークルや屋外スクールとしてしばらく後輩にダンスを教えたりしていたし、代行もしていたので、ダンスを教える事には慣れていた。
しかし、『ダンスをやりたい、という訳では無いが、身体を動かしたい人』に対する教え方には慣れていなかった。
しかも、スクールは1クラス平均90分なのに対し、スポーツクラブでは60分であった。
3分の2の時間内で進めるにはどうしたらいいんだろう?
試行錯誤しながら、少しずつ、コツを掴んでいった。


ダンスに限らずどんな事でも、とりあえず初めてでもなんでもやらなきゃ始まらないし、やっていくうちにエキスパートになっていくものだと思う。
勿論、仕事としてお金をもらう以上は常に楽しめる内容を提供していかねばならない。

振り付けの難易度のバランスや、急遽振り付けを変更出来るように対処能力を養っていった。
自分が既に当たり前の事として解り切ってる内容を、全く知らない人に説明する為には、どうしてそうなのか、きちんと理解していなければ伝える事が出来ない。
人に教える事で、自分も学び直す事が出来るのだ。
難しいけど、やりがいを感じる。


ダンスを教える事だけで生活出来るようになりたい。そう思うようになっていった。
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【昔話】十九、二十歳。【1994〜1995】
【昔話】ダンスをやろうと思った事。【1983〜1994】からの続き。



高校を卒業した。
クラスメートの一人には、芸人になると思われていた。



多少、仕事も経験した。
ドラマのエキストラや、事務所所属アイドルのバックダンサーなどなど。
こんな事したくて入ったんじゃないのにな、なんて思ってた。生意気な研究生だった。

バイト、レッスン。そして、半期遅れで入ってきた後輩との飲み会。それが毎日になった。

後輩、と言っても色んな人がいた。
小学生から10歳以上年上の人。

オイラがよく連んでいたのは年上の後輩たちだった。
彼らにはよく酒で潰された。
毎晩、吐くまで飲まされた。一気飲みは当たり前。ハッキリ言ってバカだ。
でも、凄いよくしてくれた。



ある日、将来の夢の話になった。
「オレさぁ、やっぱ俳優じゃなくてダンサーになりてぇんだよね」
そんな事を言ったと思う。

次のレッスンの後、ダンスの先生に呼び出された。

「田中、お前ダンスの公演に出ない?」

嬉しくて小躍りした。
先生は
「仲間想いの友達を持ったな」
と、年上の後輩たちの名前を言った。

目頭が熱くなった。
毎晩、馬鹿騒ぎしてるだけの仲だと思ってたのに、オレの夢の手助けをしてくれた…。
彼らの好意を無駄には出来ない。

「お願いします。オレを出して下さい!」



翌週からリハーサルが始まった。


周りはダンスのプロとして舞台やテレビの世界で生きてる人たちばかりだった。
ターンを5回以上回れる人がゴロゴロしていた。

ヤバいとこに来ちまった…。
でも、しがみつかなきゃ。



オイラは
「劇団の子」
と呼ばれていた。
俳優養成所の生徒だから踊れない、お豆ちゃんだという意味だ。
しかし、負けたらダメだ、というプレッシャーなのか、彼らを出し抜きたい、という負けん気か、振り付けを覚えて休まずに練習しまくった。
いつしか呼び名が
「劇団の子」
から、
「田中」
に変わった。
それまで振り付けを間違って覚えていても直されなかったが、
「田中、そこはこうだよ」
と直してくれるようになった。



舞台の本番は緊張よりも楽しかったし、嬉しかった。
今から考えれば、ただの発表会に過ぎなかったのかも知れない。
でも、その発表会のメンバーになれた事が嬉しくて楽しくて仕方無かった。

養成所、辞めてスクール通おう。
自然とそう思った。



オイラたちの代は養成所を辞めていく人間が多く、残ったのはわずかに7人だった。
養成所側としては、半期後輩のクラスと合同で卒業公演をさせたがっていたのだが、どうしてもやるんだ、と半ば自主公演、という形で卒業公演を行った。
脚本、演出、振り付け、衣装など、全て自分たちだけで行った。
オイラは生まれて初めて振り付けを作った。
当時、RAPと呼ばれていたHIPHOPやUK HOUSE、RAGGAEを聴くようになっていて、やっぱりそういう曲を使いたがった。
しかし、JAZZ DANCEしか習った事が無かったので、見よう見真似でtrfのPVなどから動きをパクって無理やり作った。
かなり詰め込み過ぎて踊りづらいものだったのだが、みんな頑張って踊ってくれた。

名ばかりの卒業公演が終わると、ソッコーで辞める旨を伝えた。
別に引き留められもせず、あっさりと終わった。



翌週からすぐにダンスレッスンを受けにスクールに通い出した。

「ダンサーになるならバレエもやった方がいい」
と薦められて、バレエも受けた。



6歳上の登坂良樹さんという先輩が凄く良くしてくれた。
彼はプロとして喰っていて、他のダンサーからも一目置かれていた。
彼の主宰する『H.S.ART』という表現者集団に混ぜて貰い、何故か主演までさせて頂いた。
ほぼ一人芝居、という過酷な舞台だったが、凄い嬉しかった。

しかし、この頃のオイラは上手くなりたい為だけに踊るようになっていた。
段々と踊る事が苦しく思うようにもなっていた。



自由に踊るSAMさんみたいなダンスがしたいな。
そう思う気持ちと、当時「FUNKY」と呼ばれていたストリートダンスを蔑視する先輩たちの意見に板挟みになっていた。



丁度その頃、良樹さんが学生時代に所属していたという、立教大学のダンスサークル『St.Paul's Musical Company』、通称『M研(現・D-mc)』に入りたい、と思うようにもなっていた。

比較的FUNKYに理解のある先輩に話を聞いたりして、聞けば聞くほどに踊りたい気持ちは焦がれた。

M研に所属していたスクールの友人をつてにM研に入れて貰った。
JAZZはもちろん、LOCKIN'HIPHOPHOUSEをやっている先輩たちがいて、自分がやりたかったジャンルはHOUSEというのだ、と初めて知った。

以来、HOUSEにのめり込み、鶯谷にあったスクールの夏期集中講座に申し込み、そこでSPICEのかつぞうさんに出会った。
SAMさんともまた違ったHOUSEを踊るかつぞうさんのクラスは楽しくて仕方無かった。
これだ、オレがやりたかったものはこれだったのだ!!!!!



JAZZのスクールから、M研とバイト、CLUBに通うようになった。



六本木R?hallに初めて足を踏み入れた時、正直ビビっていた。
CLUBが初めてだってバレたくなかった。
しかし、周りで自由に踊るダンサーたちは手が届かないくらいカッコよくて、眩しかった。
オイラは彼らの動きを観察し、真似する事を繰り返した。
当然、同じようには踊れない。
自分とストリートダンサーたちの壁の厚さを感じた。
どうして、彼らは振り付けもなく自由に踊り続けられるのだろう?
レッスンからダンスに足を踏み入れた為、そういう観念にとらわれていた。


秋頃に高円寺にスタジオがオープンする、というフライヤーを手に入れた。
講師にはSPICEのメンバー、SARAさんとKENさんの名前があった。

通うしかないな。

オープンするや入会した。

このスタジオはバレエ、ジャズも充実していたのだが、HOUSEとLOCKIN'のクラスがあり、しかも、HOUSEは週に2クラスあった。当時としては珍しくHOUSEに力を入れていたスクールの一つだった。



SARAさんとKENさんのレッスンに毎回出た。
わからない事だらけだし、姿勢が良過ぎてダメ出しされまくったけど、ヤバいくらい楽しかった。
当時のスタジオでのオイラの呼び名は「SARAっ子」。毎回クラスを受けていたからだ。

4ヶ月くらい経ったある日、SARAさんに
「田中くんさぁ、イベント出てみない?」
と言われた。
聞けば、他にも何人かでチームを組んで出るという。
まだ早い、とビビる気持ちと、JAZZで幾つかの舞台に立ってきた自負が混ざり合い、変な気分になったが、
「やります!」
と返事した。
こうしてSARAさんクラスの生徒の即席チーム、『さらまんた』が結成された。

新宿の路上で練習を繰り返した。
ガラスを鏡の代わりにして踊った。
今まで、リハーサルの合間にガラスで練習した事はあっても、毎回毎回外で練習するのは凄い新鮮で楽しかった。
それまで知らなかったダンサーたちとも、隣で練習してるってだけで仲良くなれた。
ストリートダンスは楽しいなぁ。しみじみ思った。



しかし、イベント当日になって驚いた。
出るのはR?hallの人気イベント『CONNECT』だった。
SPICEやTR∀MP、GRASS、COPPERTONE、電撃チョモランマ隊、といった先生たちのチームが出ているようなイベントだったのだ。

こんなんに出ていいのかよ?
かなり腰が引けた。

本番は訳の分からないうちに終わった。

二部は先生たちのチームが目白押しだった。今から考えると、ゲストチームだらけのショータイムである。
よくこんなイベントが毎月やってるなぁ、とビックリするよな凄いダンサーたちが出演していたのである。
観てるだけでワクワクして踊りたくなってくる。
しかし、圧倒的なスキルを前にヘコんだ。


SPICEみたいになりたい。
毎日そんな事ばかり考えていた。



【昔話】ストリートダンスとオイラ。【1995〜2000】へ続く。
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プロフィール

NORIMITSU@三十路

Author:NORIMITSU@三十路
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東京生まれ。
幼少の頃、マイケル・ジャクソンの『スリラー』を観て衝撃を受けるが、持ち前の引っ込み思案が災いし、「(ダンスは)自分には無理」と諦める。
小中学校でドップリ「オタクカルチャー」にハマり、自他共に認めるガンダムオタクである。好きなモビルスーツは、ザクとアッガイ。
また、TRPGゲーマーでもある。好きなシステムは新和版D&D、ロードス島戦記コンパニオン、ソード・ワールドRPG。
しかし、音楽には元々興味があった為、バンドを組もうと思うようになり、ジャンケンで負けてベース担当になる。
中学卒業直後、高校入学直前に先輩たちの自主公演を観劇し感激。演劇部と音楽部(合唱部)に入部する事を固く決意する。
「10年生になったら友達100人出来るかな?」をスローガンに男女問わず声をかけまくる、いわゆる高校デビューを果たす。
バンドは「音楽性の違い」というありがちな理由で解散。ヴォーカリストを目指す。
突っ立ったまま歌うとなると、まるで橋幸夫さんのようなので、ダンスを習う事にする。
trfのSAMさんに憧れていたのだが、ダンススクールや俳優養成所でジャズダンス(某金融ショップのCMでおなじみのジャンル)とバレエを習う。
20歳の頃、SAMさんの踊ってるダンスジャンルがハウスだと知り、愕然とする。
急遽、ストリートダンスに路線変更。座右の銘は「急がば回れ」。
ダンスチームを結成してクラブイベントに出たり、ダンスの仕事をしたりして、24歳の頃にダンスインストラクターとして、ダンススクールやスポーツクラブなどでクラスを持ち、ストリートダンスを教えるようになる。

三十路に突入し、人生の機微に触れる。
現在、マイペースにダンス普及について試行錯誤している。




【主な芸歴】
日本ジャズダンス芸術教会『秋の祭典』出演
H.S.ART第二回公演『BLUE』主演
東京ディズニーランド「ミッキーのダンスフィーバー」TVCM出演
テレビ東京系『RAVE2001』出演
鈴鹿8耐前夜祭『RIDE & LIVE』TRFライヴバックダンサー出演
フジテレビ系『SMAP×SMAP』出演
お台場どっと混む!2002『遊城』Dur mollライヴバックダンサー振り付け・出演
テレビ東京系『BEATOPIA』DT CRUSH!出演
劇団東京ミルクホール公演振り付け洋舞担当
SONY 50時間連続再生MP3プレイヤー 50時間連続ダンスキャンペーンダンサー
フジテレビドラマ『トップキャスター』出演
映画『バックダンサーズ!』出演
氣志團『The アイシテル』PV出演
TGC 2007 A/W DJ OZMAライヴバックダンサー出演
東京モーターショー2007 日産ブース映像出演
他多数

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