「常識」とは、実は逃げる時に用いられる言葉だ。 「そんなの常識だよ」という人は、一見偉そうに見えるけど、実際は説明出来ないか、面倒臭がっているだけなのだ。 属するコミュニティによって常識なんてものはコロコロ変わる。 どっかの相撲部屋では「かわいがり」が「過度なシゴキ、虐待」だったりするのである。常識というものは疑ってかかった方がいい。 いや、むしろ「常識」なんて存在しないのだ。 ことこの現代日本において、どこに「常識」があるというのか。 いや、「常識」という幻想が存在してない事に気づきながらも、気づかない振りを続けていただけだ。 海外に行けば日本の常識なんか通用しない。むしろ、「郷に入っては郷に従え」で邪魔になる事の方が多い。
常識どころか、こうして書いてある文章も、話し言葉も、単語などの品詞を組み合わせて使っているけど、この品詞一つとっても、込められた意味があり、ニュアンスの違いを含んでいたりする。年代や地方によって意味が変わってくる事がある。
例えば「ヤバい」という言葉があるけど、これなんかは「危険」だったり、「悪い」といった否定的な意味から、「凄い」、「カッコいい」といった肯定的な意味まで含んでいる。 使うTPOによって様々なニュアンスが含まれるから、「ヤバい=悪い」と言い切れない、曖昧な言葉だ。 でも、そもそもの由来を調べると全く逆の意味に転じている言葉だらけだから、現代語を批判するつもりもないし、そもそも言葉そのものが非常に曖昧なものだ、と認識する必要がある。 ネットで論争に発展しやすいのも、語義が整理されてないから、という理由が多い。 争いを回避する方法の一つとしては、「自分はこの単語をこういう意味で使っています」と語義の曖昧性を解消する注釈を入れるのもいいと思う。 まぁ、まだるっこしいし、第一、誰がどの単語に反応するかなんて、なかなかわからないんだけど。
昔、オイラのホームページ内で使っていた「バカ」という単語に傷ついたから訂正しろ、というメールを貰った事がある。 その人が問題にした文面は「面白いバカは好き、人の痛みがわからないバカは嫌い」というものであった。 はっきり言って、その人の過剰反応だったんだけど、言葉の持つニュアンスというのは、説明しないとわからない事がある、と学んだ瞬間でもあった(向こうに使っている意図を説明して直さなかったけどね)。 別にその人に向かって「バカ」と言った訳じゃないのに、それで勝手に傷つかれても困ってしまう訳だが、実はこうした「過剰反応」を示す人は意外と多い。この日記だって攻撃対象足り得るからなぁ。
閑話休題。
まぁ、そんな訳で、言葉というもの自体が曖昧だから、100%の相互理解というのは実は不可能なんじゃないか?と思っている。 分かり合えないからすれ違いが生じる。些細な事が大きな争いの元になる。 宗教戦争なんかいい例だよ。経典の解釈の違いが戦争にまで発展しちゃうんだからね。それだけ信者にとっては経典の内容というのは、アイデンティティに関わるほどの、重大なものなんだろうけど。 宗教戦争は遠くても、例えば男女間での喧嘩なんてのは、正にすれ違いから生じる事が多いよね。 「こういうつもりじゃなかった」とか、「どうしてわかってくれないの」なんてセリフはメロドラマだけのものじゃなく、実際に言ったり聞いたりした人は多いと思う。 同じ時代の同じ国の、同じ地域に住んでてそれだけすれ違う。 同じ環境で育ったはずの兄弟姉妹にだって、語義の差は生じる。
有名なバベルの塔についての詩篇に
彼 天より降りる。エホバ 天をたれてくだりたもう。 御足のもと暗きことはなはだし。 エホバくだりて かの人々の建つる街と塔を見たまえり。 いざ我らくだり かしこにて彼らの言葉を乱し 互いに言葉を通ずることを得ざらしめん。 ゆえにその名は バベルと呼ばる。 禍なるかなバビロン そのもろもろの神の像は砕けて地に伏したり。 (創世紀第11章,木下順二訳)
というのがあるが、旧約聖書の時代から既に、言葉によるコミュニケーションが不完全なものだ、とわかっていたのだろうか(バベルの塔についての詩篇の意味は、世界各地の言語の違いの由来だとされているけど、同一言語内ですら、意思の疎通がままならない意味まで含まれているのか?)。
それでも、喋ったり文章を書くのを止めないのは、コミュニケーションこそが、相互理解への一歩だからだろう。 相手を知り、相手に知って貰う事を繰り返していくしかない。 何事も諦めたら、そこで終了だから。
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