【怪談】怪談の魅力と役割
夏になれば怖い話の書籍やテレビ番組が怒涛のように現れる。ホラー映画は高い興業成績を誇る。
何故だろうか?
そもそも、まだ人類の歴史が始まる頃、正体のわからぬモノに名前や姿を与えて納得しようとしたのではなかったか。
それが神や妖怪として恐れ敬われてきた。
死は伝染すると考える宗教もあった。
死者を地中に埋め、石などで封じる事で生者の世界から死者を追いやった。
それだけだと祟りを起こすと思い、神格化して生者を守護させようと考えた。
我が国の墓の原点にはこの様な考えが根底に流れていると思われる。
言語が生まれ、交流が始まり、壁画から文字を生み出し、交流から言語や文字を発達させて、歴史は綴られてきた。
挨拶、日常会話、そして物語が伝わっていく。
不可解な出来事や英雄の話はやがて神話や伝説になる。
山や川を越えて、時には海を渡って交流は発展していく。
各国の物語は口から口へと伝えられていく。
飢饉が起きる。肥沃な土地が欲しくなる。
隣の村を襲う。
蹂躙し、奪い、殺す。
正当化して納得しようとする。
しかし、怖いのだ。殺した相手が。
死が自分を捕らえたら…。
そこで、悪を退治した、という物語から、殺した相手を神として崇めるようにして、被害が自分たちに及ばないようにする。
非業の死を遂げた者ほど強く祟る。
だから、崇め奉る事により神とし、守護してもらうようにする。
そんな都合のいい考えで神になった人たちがたくさんいた。
自然界を司る神への奉納として人を捧げた事もあったという。
逃げられないように片目を潰し、片足にした人を神に捧げた。
やがて彼らも神格化され、後に妖怪化した。
ひでり神、一つ目小僧、夜行さんなどがそれであるとされる。
妖怪は神が零落した姿でもある。
現代では全てを合理的に考える事が当たり前であるとされる。
しかし、それは心を貧しくする事にも繋がる。
不可思議な事象も認め、恐れ、敬う気持ちが無いと自然界に対し増長する。
自らを「霊長類」と呼び、万物の頂点に君臨したつもりになってる。
しかし、その増長が自然を破壊し、多くの貴重な存在を滅ぼしてきた。
そのつけはいつか支払わねばならなくなるだろう。それはいつのことだろうか?
数万年後かも知れない。明日かも知れない。
しかし、来ないという事は無い。
フロンガスの使用によりオゾン層は破壊され、強烈な紫外線は地上に住む我々に影響を及ぼしている。
気温は年々上昇し、北極と南極の氷は溶ける一方だ。それにより海抜は上昇し、沿岸部が海の底になるのは時間の問題だ。
自然を敬う気持ちがあれば自然と共存していける。
しかし、それは同時に不便な生活に戻る事にもなるだろう。
それに我慢が出来ないから資源を膨大に消費する事を止める事が出来ない。
こうした事を考えるとき、いつも旧約聖書に出てくるバベルの塔の寓話を思い出さずにはいられない。
神の住む天界に届かんばかりの長大な塔を建造した人類に怒った神が雷により塔を破壊し、人々の言葉を乱し、互いに会話する事を出来なくさせた。
混乱をもたらしたこの塔を「バベル(混乱)」と呼ぶようになった、というアレである。
不遜な者には裁きの鉄槌が下される。
その事を忘れ、私利私欲に走っている。
しかし、ここまで書いておいてなんだが、オイラは徒歩で行ける範囲にコンビニが無きゃ安心出来ない現代病患者である。
自然回帰を唱えるつもりも無い。
しかし、闇を怖がる気持ちは大切にしていたい。
家の隅に、夕暮れの街角に、知らない土地にある小さな闇。
そこに潜んでいるであろう住人たちを恐れ、そして愛する気持ちが大切だと思うのだ。
妖怪や幽霊に住処を残したい。
畏れる気持ちが彼らの住処だ。
オイラは例えこの世の全てが暴かれたとしても、でも、もしかしたら、と畏れる気持ちを持ち続けるだろう。

