イヌマネ。
全ての芸術は模倣から始まる。
しかし、模倣から始まった芸人は、模倣に終わる。
本日はようこそ、いらっしゃいモホー。
清水ミチコ
「学ぶ」は「真似ぶ」である。
人類は、模倣する事で文化を発展させてきた。
言語しかり、絵画しかり、音楽しかり、ダンスしかり。
全くのゼロから何かを創り出す事は無い。何かしらに影響を受けたり、インスピレーションを得ているものである。
色んなものに触れ、柔軟な発想力や突発的な偶然などによって意外性を生み出したものがオリジナリティの正体である。
話がそれた。
先日テレビで観たのだが、山口県周南市徳山動物園には泳げないコツメカワウソのお母さんがいるという。
「ぴゃあ」というそのカワウソは、生まれたばかりの頃に捕獲され、日本に密輸された為泳ぎ方を知らないのだ。
ぴゃあの子供たちは動物園の飼育員の努力の甲斐あって泳げるようになったので、ぴゃあは泳げない個体という訳である。
何事も学習をする事で出来るようになるが、学習しない事は出来ない(真似をする努力は出来るが、得意に感じたり、苦手に感じたりする事もある)。
知らない事は知らないし、努力次第で苦手を克服する事もできる。
動物も何かを真似して技術を獲得している。これは生存率を高める為の本能だろう。
群れ単位で生活する動物は、群れからはぐれる事はすなわち死を意味する。その為、周囲の仲間の真似をする事で生存率を高めているのでは無いだろうか。
先ほどのカワウソのお母さんも、泳ぐ経験が無い為に泳げなかった。学ぶ機会が失われたまま、大人になってしまったからだ。
真似による学習効果はかなり大きい。

ようやく本題に入るが、最近、我が家の犬、福々(ミニチュアダックス/♀/2歳)が、一緒に飼っているお婆ちゃん猫のウランの仕草を真似している事に気付いた。

寿(チワワ/♂/2歳)はウランの真似をしないのだが、福々はウランが大好きなので、いつも一緒に行動するうち、仕草を真似するようになったようだ。
例えば、床に上半身をベターッとつけて伸びをしたり(以前もしていたが、明らかに低い姿勢で行うようになった)、やたら高い場所にジャンプしようとしたり(当然、猫のジャンプ力にかなうはずもなく、常に失敗に終わるのだが、ダックスは特に腰が弱いので、ジャンプ自体を止めさせるようにしている)、頭から首を色んな場所にひんぱんになすりつける等、猫っぽい仕草をするようになったのだ。
ちなみに、重心の問題で前肢で顔を撫でる、いわゆる「顔を洗う」事は真似出来ていない。
以前にも、くすぐったいと頭をこすりつける事はあったが、何も無いのに急にこすりつけまくっているのを見ると、「ああ、コイツは猫の仕草を覚えたのだな」と思うのだ。
ウランは犬たちをうざがっている様子で、出来る限り犬から逃げるようになってしまった。
何だか哀れなので、ウランの事を猫だけに猫可愛がりしている。

