【RPG】世界観を変えるという事。
『007』を題材にしたのもあれば、日本の女子高生が妖怪と戦うものまである。
要は何でもありだ。
SFRPGが流行らなかった背景の一つに、「専門用語(テクニカルターム)が多過ぎて、共通認識材料が乏しい」というのが挙げられる。
TRPGはどうしても、共通認識が必要なゲームだ。
見たままのビジュアルイメージを提供出来るコンピュータゲームと違い、TRPGはベースとした作品を知っているかどうかでゲームの楽しみが変化する。
故に、ビジュアルや世界背景などはある程度有名で既存のもの、例えばファンタジーRPGならば、従来のように種族はJ.R.R.トールキン『指輪物語』準拠にする、モンスターは北欧神話、ギリシャ神話、バビロニア神話あたりから拝借する、などのお約束が無いと、マスターやプレイヤーの間で同じイメージが湧かなくて、非常に難儀するのである。
何故、こうしたお約束がファンタジーRPGの「常識」足り得たのか。
それは、共通認識の底本となったのが、『指輪物語』やマイケル・ムアコック『エターナル・チャンピオンシリーズ』、フリッツ・ライバー『ファファード&グレイマウザー』、ロバート・E・ハワード『コナン』といったファンタジー小説や映画作品などだったからである。
屈強な戦士、ギルドに所属していて特殊技能を駆使して罠を突破する盗賊、身体は弱いが強力な呪文を唱える魔法使い、美しく賢い森の種族エルフ、器用で頑丈な小人ドワーフ、といったキャラクター像はこうした作品を共通認識としているからである(ホビットみたいな小人は、版権の都合上、各ゲームが名前を変えて登場させている)。
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一方、SFだと『スタートレック』は好きだけど、『スターウォーズ』は嫌いだとか、『装甲機兵ボトムズ』は好きだが、『機動戦士ガンダム』は許せないという人もいる(そして、ガチなSFファンの中には、こうした作品はSFですら無い、という人もいる)。
まぁ、SFというのは「サイエンスフィクションからスペースファンタジーに変わってしまった」という人もいるくらいだ。
もっとも、全ての創作物はファンタジーである、と言い切ってしまえば、狭義の意味でのSFもファンタジーな訳で、外野にとってはどうでもいい話なんだが。
そんな訳で、SFRPGを遊ぶには、少なくとも「どういう科学技術が存在する世界観なのか」をハッキリさせる必要がある。
モビルスーツは無いけど、光速航行は可能だとか、超能力は無いけど、異星人は出てくるとか、遊ぶ人がしっかりゲームの世界観を把握していなければ、共通のイメージが抱きづらい。
自然と『STAR WARS』や『機動戦士ガンダム』などの原作モノ以外のSFRPGは、流行らずにマニアックな印象のままになってしまった。
世界観を変える=共通認識が減ると言い換えてしまうと分かり易い。
オリジナル設定も結構だが、それを補強するだけのサプリメントを充実させ、しっかり流通させないと難しい。
要は、遊ぶ人同士の常識が違う世界に行ってしまうと、非常に困ってしまうのである。
当然、エルフやドワーフが指輪物語のままじゃない事は確かだが、元祖D&Dから、日本のファンタジー観の洗脳を行ったとも言うべき『ロードス島戦記』を経た大半の日本人ファンタジーファンにとって、エルフは華奢で知力とプライドが高く、長命な森林属性、ドワーフは器用で体力・筋力バカのヒゲジジイ、というのは、既に常識なのだ。
これを覆すには、日本人ファンタジーファンを、D&Dやフォーセリアの(言い方は悪いが)呪縛から解かなければならないのである。
キャラクターのイメージというのは、各個人の脳内イメージに準拠するものだと思うのだが(むしろ、そこも楽しみの一つだと思う)、アイテムや世界観のイメージという「ルール上、固定概念が無いとマズい」部分は、やはり「これは出来て、これは出来ない」といったゲーム上の常識を共有する必要がある。
システムによっては、しっかり補完出来てるものもあれば、どうとでも解釈出来てしまうものもあるので、「自分にとっての常識と、他人にとっての常識は違う」とした上で、そのセッションでのイメージの統一をはかる必要がある(「今回はこんな感じよ〜ん」みたいな)。
ハンドアウトが流行った要因の一つでもあると思うが、それだけ多様化してるんだなぁ、と。
ビジュアル一つとっても、例えばラリー・エルモア描くアメリカンなガチムチを好む人から、アニメちっくな萌え絵を好む人まで様々になった。
例えば、ゴブリンのイメージって、人によって全然違うと思う。
童話や民話みたいなゴブリンのイメージもあるし、映画『ラビリンス』みたいな雑多なイメージ(個体毎に違う)、鼻が低いもの、魔女みたいな鼻の高いものなど、色んなイメージがある。
一口に「ゴブリン」と言っても千差万別、統一イメージは無い。
ゲームによってはイラストでイメージ喚起を即しているものもあるが、文章だけだと、様々な解釈が成り立つ。
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同じ作品でも、『ファイナルファンタジー』シリーズのゴブリンは、初期の天野喜孝デザインと、後期野村哲也デザインでは異なる。
しかし、それでいいと思う。
必要なのはルール上問題となる解釈、また、イメージの共有化が難しいものだ。
「うけうけもちゃらぷー(仮)が三体現れたよ」と言われても困っちゃう訳なのである。
うけうけもちゃらぷー(仮)は、どんな姿をしていて、どんな攻撃を仕掛けて来るのか?いい奴なのか、悪い奴なのか?さっぱりわからないままゲームを進めるのは、いささかムチャだと思う。
当然、「わからないから面白い」という楽しみ方もあるのだが、例えばオーソドックスな「A」というRPGでは炎は熱いもの、前衛的な「B」というRPGでは炎は冷たいものとして扱われていたら、やっぱりどうかと思う。
炎を冷たいものとして扱うには、それなりの説得力が無いと、にわかには納得出来ない。
ヘヴィーなゲーマーなら「ああ、今回はこういう趣向か」と流せる事でも、素人にとっては、非常に敷居が高くなり、結果廃れてしまうと思う。
この「敷居の高さ」は、現在のTRPG界全般に対して感じている。
クラシック『D&D』の頃は、まだまだマイナーなゲームジャンルだったので、リプレイもゲーム内容を紹介する形式で書かれてたが、次第に「読み物としてのリプレイというジャンル」として書かれるようになってから、閉じた世界になっちまったなー、というのが正直な感想だ。
『D&D』で言えば、現行の3版や3.5版は、テクニカルタームだらけで入りづらい雰囲気がある。
出戻りの身としては、もっとライトなユーザーにも門戸を開いた方が、普及しやすくなるんじゃないかな?と思う。
TRPG自体、ただでさえマイナーなのに、更に内輪ウケの世界になっちゃいかんと思うのだ。
「うけうけもちゃらぷー(仮)」は、物足りなければ、自分たちの仲間内でオリジナル設定として出すのはいいけど、コンベンションでやっちゃ駄目なレベルだと思う。
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話を元に戻すと、『Wizardry』のように不確定名があれば、魔物の正体がわからないスリルが味わえる。
キャラクターとしてモンスターの正体が分かった時に、プレイヤーとしても対処法が分かるのは、実際に正体を見破ったキャラクターの立場に近い爽快感が味わえると思う。
また、ゴブリンや狼といったメジャーどころのモンスターは、ゲーム内でもメジャーな存在で、知名度が高い(ゲーム中の数値としてでは無く、広く知られているという意味で)事が多い。逆にこれらのありふれたモンスターに対して対処法が分かり切って無い冒険者というのは、かえって不自然では無いだろうか?

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