個性って何だろう?
子供の個性を尊重する
という思想が、教育業界を中心に蔓延した事があった。
個性を尊重するのはとても素晴らしい事だと思うのだが、それは尊重する側も尊重される側も、正しい個性の意味を理解した上での話である。
個性というものは、ある一定の縛りの上に成り立つものであり、縛り無くして個性無し。それは単なる暴走。
つまり、どういう事かと言うと、校則なり、社会的通念(常識というヤツ)なり、各分野(ジャンル)のルールと言ったものに縛られるんだけど、ついつい噴出してくるものこそ、個性であると思うのだ。
まっさらな紙に好きに絵を描いていいよ、と言われても、ほとんどの人は何を書いたらいいのか分からない。
「この木を模写して」
とか、
「何でもいいから犬描いてみてよ」
とか、お題を出されないと描けないもんである。
このお題こそが“縛り”であり、描いた絵に個人個人によって特徴が現れる。それが、個性である。
また、校則ギリギリの範囲でオシャレをするのも個性である。
暴走とは、とりあえずこうしたら個性的だと認めてくれるんじゃないか、とやっきになってゴテゴテ不必要なものを無理やりくっつけたりする事である。
ヤマンバギャルとかはここかな。
しかし、ほとんどの人たちが個性の意味を知らないもんだから、暴走を助長させる形となった。
好きな事くらい個性的じゃないと、オレの個性って何なんだ!?と、半ば強迫神経症のような精神状態の若者が増えた気がする。
しかし、個性なんてものは勝手に出てくるものであり、無理やり捻り出すもんじゃあ無いのだ。
例えば、オイラはカレーが好きだが、納豆は嫌いである。
焼き肉は好きだが、梅干しは嫌いである。
ビールは好きだが、発泡酒は嫌いである。
この「好き」とか「嫌い」とか分けてるものは自分自身であり、個性である。
ダンスに例えるなら、
このムーヴが好き
と取捨選択をしている感性こそ個性である。
だから、誰の中にも個性はあるから、決して焦らないように。
色んなものを冷静に見ない限り、自分の個性なんて分からないもんだから。
自分探し、って一時流行ったが、とても馬鹿馬鹿しいと友人とよく笑ったもんである。
そこまで他人の目を気にするもんかね、と。
自分なんか探したところで無駄なのだ。
自分は自分であって、それ以上でも以下でも無いのだから。
その今の自分に満足出来ないからこそ、自分と向き合い、成長する。
そうして成長した人こそ大人であり、年だけ取って向き合って無い人は子供である。

