続・壁の話
実に三週間振りである。
初めて登りに行った翌週は風邪をひいたので休み、先週は友人の結婚式の二次会で踊るチーム練の為に休んだ。
久方振りの壁なので、まずは肩慣らしがてら、向こう向きに傾斜した最も簡単な壁の中で一番難しいレベルの「青」から登った。
三つのルートを容易く登頂出来たので、次に難しい垂直の壁に向かった。
垂直の壁において「青」は中くらいのレベルであり、更に難度の高い「黄色」が現れる。
共に登りに行った友人と二人、まずは「青」から攻めようと登ってみるのだが、これが登れない。
幾度めかの挑戦の後、
俺「ちょっと二階に行かない?」
友「いいねぇ、行こうか」
という事で二階に行く事にした。
この壁登らせ屋さんはボルダリング(ハーネスやザイルを使わずに4~5メートルほどの壁を登る種目)とクライミング(ハーネスやザイルを使って10メートルほどの壁を登る種目)が楽しめる。
クライミングの壁側の一階と二階は当然吹き抜けなのだが、ボルダリング側の壁は一階と二階に分かれており、一階は平らな壁面だが、二階は岩山の如く迫り出した壁面になっており、一階とは比べものにならないほどの難易度がある。
前回、一度この二階において最低難度の「ピンク」に挑んだが、アッサリ完敗した(友人は前回、ピンクのうち一つのルートを攻略している)。
壁は手掛かり毎に振り分けられた色と番号によってルートが存在する。このルートを守って登ると、同じ一枚の壁なのに全く印象が変わる。
安易に登れるルートから、慣れた人でも難しいと思うルートまで、壁はその表情を変えるのである。
俺は最初、二階の壁にルートを無視して登ってみよう、と考えていた。
ルートさえ無視すれば、後は体力に任せて登ればいい。ちょっとしたウォーミングアップのつもりの提案だった。
しかし、実際に二階の壁の前に立つと、「ピンクを一本でもいいから攻略したい」という欲が湧いた。
そこから二人で二階の「ピンク」を登り出した。
壁には「一枚につき一人」という掟がある。誰かが登っている間は登ってはならない。何故ならば、邪魔になって大変危険だからである。
降りてくるのを待っている間は、現在登っている人の登り方を観察したり、自分の登るルートを確認し、脳内シミュレーションに耽ったりする。
俺らは易々と攻略していく諸先輩方を見ては感嘆の溜め息を漏らすしか無かったのだが、徐々に彼らのテクニックに気付き始めた。
「身体を揺らして反動をつけている」
「身体を巧みに捻って向きを変えている」
「両脚が延びきっていると蹴り上がれないから、片脚は撓めている」
「触ってはいけない他の手掛かりを触らなければいいので、壁の途中で両手を離してもよい(かなり高度な技術)」
などなど、前回は見るもの全てが珍しく浮かれていただけであったが、冷静に観察していくとなるほど、そこには培われてきた技術があるのであった。
友人は再び二階のピンクの一ルートを攻略し、次のルートに取り掛かった。
俺はしばらく登っては墜ち登っては墜ちを繰り返した。
あれは幾度めの挑戦だったか。
ふとした思いつきだったのだが、いつも入る方向とは逆に身体を向けて登り始めた。
二つめの手掛かりを掴む。バランスを取る為に両腕に力が籠もる。
三つめに手を伸ばす。踏みしめやすい足場を探る。
そして四つめの手掛かりを掴んだ瞬間、
「いける」
と確信した。
そこからはスルスルと実に呆気なく登っていき、気付けばゴールの手掛かりを両手で掴んでいた。
「よっしゃ!やったぜ!」
思わず口をついて喜びが漏れた。
自分が「こうで無ければならない」という概念に勝手に捕らわれていた事を悟った。
自分の思い込みを捨てれば、壁はまた違う表情を覗かせる。
壁は、深い。