ほんの少しの優しさを。
ネットでも「教えてくん」が叩かれてるが、「教えてくん」を叩く奴ってただのめんどくさがりなんじゃねーのか?と思うのだ。
初めておっかなびっくり足を踏み入れたフィールドで急に叩かれると、人はそのフィールドから遠ざかる。当たり前だ。だって嫌な事から逃げ出したいのは誰だって感じる、ごく当たり前の衝動だからだ。
もっとも、そこで逃げ出せば何も身に着かないし、踏み止どまれば深遠なる世界に、更に深くまで進む事が出来る。
経験や知識が少なければ、物事の表層部分しか見えない訳で、それが心無い人から受けた罵声だとするならば、そのフィールド全てが悪印象を持たれる可能性は高くなる。
知識や経験を積んだ者は更なる高みを望み、純度の高い良質な物を求めるようになる。
しかし、そうなると、今度は排他的になっていく。上昇志向は自分を高みへ連れて行こうとする素晴らしい力だが、愛が無いと自己中心的な考えに捕らわれそうになる。
イヤラシイ話、オイラは一応、ダンスを仕事にもしているので、顧客開拓を考えると、ダンス界が排他的になるのを防がなければならない、と考えるのである。
ぶっちゃけ若い世代は放っといてもダンスに興味を持つ人は持つ。
しかし、ある程度年齢が上がるにつれて敷居が高く感じるようになってる現状がある。
ダンスに年齢なんか関係無い。
オイラは自分の祖母くらいの歳の人にHIPHOPを教えた事もある。
楽しいと思ってくれたら最高に嬉しい。
興味があるんだけど始めるのはちょっと躊躇しちゃう人の背中を押して行きたい。
そんな行動で少しでもダンス界に貢献出来たら嬉しい。
「今更そんな事も知らないのかよ?」
そう思った人が、新参者に対して説明する手間を省くために便利な言葉を口にする。
「そんなの常識だよ?」
常識とは同じような語彙、風俗、習慣を持った小さなコミュニティ内でしか通用しないものである。
もし、常識という言葉を口にしそうになった場合、発する前に考えて欲しい。
『待てよ、これはもしかしたら自分の身の回り、自分と似た立場、自分の地域、そういった小さなコミュニティ内でしか通用しないのか?』と。
常識だよ、という言葉は心の壁でもあるのだ。
高校を卒業するまで、選挙なんか無意味だと思ってたし、政治なんか興味が無かった。
しかし、本を読んで行くにつれ、政治にも興味が湧いてきた。
そこで親に訊いてみた。
「政治家どもはみんな選挙前になると都合のいい事を並び立てるので、どれも同じに見える。それぞれの政党毎の特色ってあるのか?」
と。
すると親から返ってきた返答は
「そんなものは常識だ。何で知らないんだ!」
知る機会やキッカケが今まで無かったのだが…。
まぁ、独学で調べたからどうにか違いがわかったが、ニュースに興味が無い若者が選挙離れを起こしている原因はこういうところにあると思う。
選挙に行かない人から選挙権を取り上げる案を出す前に、お前ら客を呼ぶ方法を考えたのかよ?と問いたい。
似たような綺麗事言うのを止めて、きちんと自分に投票した際の本当のメリット、デメリットを言えよ。もう国民にバカにされてて政治家先生じゃねえんだぞ。
24歳の頃、バイトと両立しながら、先輩の紹介でダンスを人に教える事を仕事にし始めた。
それまでのオイラは自分の身体を使って踊る事は出来ても、それは自分にとって当たり前の感覚に過ぎず、「理解していない」とは思った事も無かった。
しかし、ダンスなんか見た事も無いけど、やってみたい人たちを前にした時、己の力不足に愕然とした。
「何で伝わらないんだろう?」
そんな考えが頭をよぎる。
しかし、それは自分が自分のしている動きの仕組みを理解していないという事なんだな、と思った。
そこで、オイラは動きの成り立ちを研究した。
こうやって腰が動くから上半身がこうなって…なんて考えると、今まで自分が当たり前だと感じていた動き一つとっても面白く感じてきた。
俗に「人に教えるようになると教えた自分が更に理解出来る」というが、教える事はマジで勉強になる。
まぁ、ダンスに限らず身体表現は理屈で凝り固まっても仕方無いんだけどね。
ブルース・リーの言葉にもこうある。
「考えるな、感じろ」
やはり感じる事が大切なんだなぁ。
新しく何かを始めよう、と思った時、自分で調べる、意地でも食らい付いて行く意地が必要だ。
情熱が足りなければ大成するものもしなくなる。本人のやる気こそが最大の頼みだ。
他人が助けてくれる事もあるけど、それを最初からアテにするのは単なる甘えである。
知ってる人は優しく、知らない人は予め下調べをすれば、もっと良くなるんじゃないかな?と思った。

