【昔話】ダンスをやろうと思った事。【1983〜1994】
ウチの母はビートルズ世代で洋楽大好きっ子だった。
オイラが物心ついた頃、常にラジオのFM局から洋楽が流れていた。
オイラは、フリオ・イグレシアスやEARTH,WIND & FIRE、CHICなんかを子守歌代わりに聴きながら育った。
オイラが幼稚園に通うようになると、母は高校時代まで社交ダンスをやってて元々ダンス好きだった為、JAZZ DANCEを習い始めた。
母の出演する発表会を観に行ったり、スタジオの隅でレッスンが終わるまで待っていたりする度、
「のりくんも踊りなよ」
と言われるのが嫌だった。
極度の人見知りだったオイラは、ダンス以前に気の許せる人以外と喋る事すら出来ない内気な子供だったのだ。
人前に出るなんて…。
考えた事も無かった。
映画や芝居、落語など、様々な舞台を観に行ったりもしたが、自発的にやってみたい、とは思えなかった。
近所の子が通ってるから、という理由でリトミック教室に通わされるようになったのは、小学3年生の頃。
とにかくリズム感無し、運動神経無しのオイラにとってリトミック教室は重荷ではあったのだが、ある日、先生がビデオでMICHAEL JACKSONの『THRILLER』を見せてくれた。
MICHAEL JACKSON『THRILLER』
物凄いショックを受けた。
何だ、これは!?
ミュージカルとも違う、ダンスなんだけど、今まで観た何よりもカッコ良かった。
ただ、やはりやれるものでは無い、と思っていた。
以来、しばらく音楽やダンスから離れ、ゲーム、漫画、アニメ、本にドップリ浸かり、オタク人生まっしぐらになる。
中学生の頃、親友のよっちゃんがTM Networkのアルバム『CAROL』をくれた。
それまでのオイラは歌番組で出てくるアーティストの歌は知っていても、特にこのアーティストの曲が聴きたい、という感じで音楽を聴いて来なかった。
この頃はJRのCMでZOOが出てたりしたが、ダンスには興味が無かった。
しかし、特定のアーティストのアルバムを手に入れた事で、音楽に対する興味がやたら湧いてきた。
当時、上の階に住んでいた先輩がB'z のアルバムを貸してくれたりして、次第に音楽に目覚めていった。
同級生にブルーハーツ をダビングしてもらったり、姉のカセットテープを借りたりして、音楽を聴きまくった。
中学卒業の頃、高校に行ったらバンドを組もう!という話が友人たちの間で出た。
また、春休みに例の先輩が部活の自主公演に誘ってくれ、その舞台にいたく感動したオイラは、人前に出たい願望がフツフツと湧いてきた。
一年生になったら、友達100人作ろう、と本気で思った。
高校に入学し、仲良くなった外部生に声をかけまくったりした。
1年の頃は、演劇部や音楽部(合唱部)で忙しく、バンドは組めなかったが、2年生になり、後輩の一人をヴォーカルに迎え、『Virgin』という恥ずかしい名のバンドを結成。
オイラの担当はジャンケンに負けてベースになった。
一丁前にスタジオ借りて練習したり、学園祭でライブ(と言っても3、4曲程度だが)したりした。
しかし、音楽性の違いで解散。
オイラはヴォーカリストになりたい!という願望があったので、ヤ●ハのヴォーカルスクールと、そして、突っ立ったままだと橋幸夫みたいなので、ダンスも習い始めた。
吉祥寺ダンススクールというスタジオでJAZZ DANCEを習った。
大好きだったB'z『EASY COME,EASY GO!』のPVと、TMN『RHYTHM RED BEAT BLACK』のPVを観て、
「やっぱヴォーカリストは踊れないとね」
なんて思ってた。
B'z『EASY COME,EASY GO!』
まさかこの数年後に安室ちゃんやDA PUMPみたいなダンスヴォーカルグループが流行るなんて夢にも思ってなかった。
先生は母と姉の友人で、TMNのPVに出てた田畑幸一先生。
キレのあるカッコいいJAZZ DANCERだ。
当時のオイラは、ダンスにジャンルというものがある事を知らなかった。
trfのSAMさんみたいなダンスをやりたい、と思ってたけど、それはそういう振り付けで、男の先生に習ってれば、いつかやるもんだと思ってたのだった。
憧れの先生に習えて嬉しかった。
習った振りを家で練習していて、母に
「タバちゃんっぽい動きになってきた」
と言われて嬉しかった。
よく学校の廊下にある鏡の前で練習した。
「田中ぁ、何踊ってんだよ」
とからかわれたりもした。
でも、ターンをしたり、振り付けを覚えるのが楽しくて、気がついたらダンスにハマってた。
ヤ●ハのヴォーカルスクールは半年くらいで辞めた。
ダンススクールに通いながら、高田馬場のロッ●リアでバイトをした。
3年生になり、当時付き合ってた恋人と別れ、落ち込んでも、ダンスがある毎日は楽しかった。
進路を決めなきゃいけない。
みんな、大学受験に向けて頑張ったり、それぞれの未来に向けて目標を掲げ始めていた。
オイラはダンスで喰っていく。それしか無かった。
しかし、それを両親に話した時、やっぱり反対された。
母は特にダンサーをたくさん見てきた。
男のダンサーが食いっぱぐれているのをたくさん見てきたのだ。
父は頭ごなしだった。
大学、サラリーマン一辺倒の父は、オイラの生き方に不安を感じていた。
あの頃のオイラは根拠無き自信があった。
それが若さなのかも知れない。
しかし、その根拠無き自信のお陰でか、両親を渋々ながら説得、ってゆうか、
「もう知らん!勝手にしろ!!!!!」
と言う有り難いお言葉を頂戴する事に成功した。
母はそれでも知恵をつけようと思ったのだろう、ある日の新聞に掲載されていた俳優養成所の広告を見せてきた。
「お前、俳優にならなくても、歌とか習っておけば、多少は潰しが効くかも知れないし、芸の肥やしにはなるんだから」
そんな事を言われて、オーディションを受ける事にした。
将来はダンサーで喰っていく、なんて思ってた割には、結構行き当たりばったりな生き方だ。
親が心配するのも無理は無い。
某俳優の主宰する俳優養成所のオーディションに受かったオイラは、そこで演技、ダンス、殺陣、歌唱のレッスンを受けるようになった。
それまで週2回通っていたダンスレッスンは、どちらも養成所のレッスンとかぶっていて通えなくなった。
悔しいけど、養成所を選択した。
養成所のレッスンはまぁまぁ出来る部類の生徒だったと思う。
高校1年から演劇部と音楽部、2年からヴォーカルスクール、ダンススクールに通っていたのだから、下地は多少出来ていた。だから難なくついて行けたし、無難にこなせた。
しかし、それだけの面白みの無い生徒だった。
表現者として、一番良くない。
中庸。それが当時のオイラだった。
でも、当時のオイラにはそんな事はわからない。
多少自信を持って臨んでいたと思う。
高校、バイト、養成所。そのサイクルに満足してた。
※【昔話】十九、二十歳。【1994〜1995】へ続く。

