【昔話】十九、二十歳。【1994〜1995】
高校を卒業した。
クラスメートの一人には、芸人になると思われていた。
多少、仕事も経験した。
ドラマのエキストラや、事務所所属アイドルのバックダンサーなどなど。
こんな事したくて入ったんじゃないのにな、なんて思ってた。生意気な研究生だった。
バイト、レッスン。そして、半期遅れで入ってきた後輩との飲み会。それが毎日になった。
後輩、と言っても色んな人がいた。
小学生から10歳以上年上の人。
オイラがよく連んでいたのは年上の後輩たちだった。
彼らにはよく酒で潰された。
毎晩、吐くまで飲まされた。一気飲みは当たり前。ハッキリ言ってバカだ。
でも、凄いよくしてくれた。
ある日、将来の夢の話になった。
「オレさぁ、やっぱ俳優じゃなくてダンサーになりてぇんだよね」
そんな事を言ったと思う。
次のレッスンの後、ダンスの先生に呼び出された。
「田中、お前ダンスの公演に出ない?」
嬉しくて小躍りした。
先生は
「仲間想いの友達を持ったな」
と、年上の後輩たちの名前を言った。
目頭が熱くなった。
毎晩、馬鹿騒ぎしてるだけの仲だと思ってたのに、オレの夢の手助けをしてくれた…。
彼らの好意を無駄には出来ない。
「お願いします。オレを出して下さい!」
翌週からリハーサルが始まった。
周りはダンスのプロとして舞台やテレビの世界で生きてる人たちばかりだった。
ターンを5回以上回れる人がゴロゴロしていた。
ヤバいとこに来ちまった…。
でも、しがみつかなきゃ。
オイラは
「劇団の子」
と呼ばれていた。
俳優養成所の生徒だから踊れない、お豆ちゃんだという意味だ。
しかし、負けたらダメだ、というプレッシャーなのか、彼らを出し抜きたい、という負けん気か、振り付けを覚えて休まずに練習しまくった。
いつしか呼び名が
「劇団の子」
から、
「田中」
に変わった。
それまで振り付けを間違って覚えていても直されなかったが、
「田中、そこはこうだよ」
と直してくれるようになった。
舞台の本番は緊張よりも楽しかったし、嬉しかった。
今から考えれば、ただの発表会に過ぎなかったのかも知れない。
でも、その発表会のメンバーになれた事が嬉しくて楽しくて仕方無かった。
養成所、辞めてスクール通おう。
自然とそう思った。
オイラたちの代は養成所を辞めていく人間が多く、残ったのはわずかに7人だった。
養成所側としては、半期後輩のクラスと合同で卒業公演をさせたがっていたのだが、どうしてもやるんだ、と半ば自主公演、という形で卒業公演を行った。
脚本、演出、振り付け、衣装など、全て自分たちだけで行った。
オイラは生まれて初めて振り付けを作った。
当時、RAPと呼ばれていたHIPHOPやUK HOUSE、RAGGAEを聴くようになっていて、やっぱりそういう曲を使いたがった。
しかし、JAZZ DANCEしか習った事が無かったので、見よう見真似でtrfのPVなどから動きをパクって無理やり作った。
かなり詰め込み過ぎて踊りづらいものだったのだが、みんな頑張って踊ってくれた。
名ばかりの卒業公演が終わると、ソッコーで辞める旨を伝えた。
別に引き留められもせず、あっさりと終わった。
翌週からすぐにダンスレッスンを受けにスクールに通い出した。
「ダンサーになるならバレエもやった方がいい」
と薦められて、バレエも受けた。
6歳上の登坂良樹さんという先輩が凄く良くしてくれた。
彼はプロとして喰っていて、他のダンサーからも一目置かれていた。
彼の主宰する『H.S.ART』という表現者集団に混ぜて貰い、何故か主演までさせて頂いた。
ほぼ一人芝居、という過酷な舞台だったが、凄い嬉しかった。
しかし、この頃のオイラは上手くなりたい為だけに踊るようになっていた。
段々と踊る事が苦しく思うようにもなっていた。
自由に踊るSAMさんみたいなダンスがしたいな。
そう思う気持ちと、当時「FUNKY」と呼ばれていたストリートダンスを蔑視する先輩たちの意見に板挟みになっていた。
丁度その頃、良樹さんが学生時代に所属していたという、立教大学のダンスサークル『St.Paul's Musical Company』、通称『M研(現・D-mc)』に入りたい、と思うようにもなっていた。
比較的FUNKYに理解のある先輩に話を聞いたりして、聞けば聞くほどに踊りたい気持ちは焦がれた。
M研に所属していたスクールの友人をつてにM研に入れて貰った。
JAZZはもちろん、LOCKIN'、HIPHOP、HOUSEをやっている先輩たちがいて、自分がやりたかったジャンルはHOUSEというのだ、と初めて知った。
以来、HOUSEにのめり込み、鶯谷にあったスクールの夏期集中講座に申し込み、そこでSPICEのかつぞうさんに出会った。
SAMさんともまた違ったHOUSEを踊るかつぞうさんのクラスは楽しくて仕方無かった。
これだ、オレがやりたかったものはこれだったのだ!!!!!
JAZZのスクールから、M研とバイト、CLUBに通うようになった。
六本木R?hallに初めて足を踏み入れた時、正直ビビっていた。
CLUBが初めてだってバレたくなかった。
しかし、周りで自由に踊るダンサーたちは手が届かないくらいカッコよくて、眩しかった。
オイラは彼らの動きを観察し、真似する事を繰り返した。
当然、同じようには踊れない。
自分とストリートダンサーたちの壁の厚さを感じた。
どうして、彼らは振り付けもなく自由に踊り続けられるのだろう?
レッスンからダンスに足を踏み入れた為、そういう観念にとらわれていた。
秋頃に高円寺にスタジオがオープンする、というフライヤーを手に入れた。
講師にはSPICEのメンバー、SARAさんとKENさんの名前があった。
通うしかないな。
オープンするや入会した。
このスタジオはバレエ、ジャズも充実していたのだが、HOUSEとLOCKIN'のクラスがあり、しかも、HOUSEは週に2クラスあった。当時としては珍しくHOUSEに力を入れていたスクールの一つだった。
SARAさんとKENさんのレッスンに毎回出た。
わからない事だらけだし、姿勢が良過ぎてダメ出しされまくったけど、ヤバいくらい楽しかった。
当時のスタジオでのオイラの呼び名は「SARAっ子」。毎回クラスを受けていたからだ。
4ヶ月くらい経ったある日、SARAさんに
「田中くんさぁ、イベント出てみない?」
と言われた。
聞けば、他にも何人かでチームを組んで出るという。
まだ早い、とビビる気持ちと、JAZZで幾つかの舞台に立ってきた自負が混ざり合い、変な気分になったが、
「やります!」
と返事した。
こうしてSARAさんクラスの生徒の即席チーム、『さらまんた』が結成された。
新宿の路上で練習を繰り返した。
ガラスを鏡の代わりにして踊った。
今まで、リハーサルの合間にガラスで練習した事はあっても、毎回毎回外で練習するのは凄い新鮮で楽しかった。
それまで知らなかったダンサーたちとも、隣で練習してるってだけで仲良くなれた。
ストリートダンスは楽しいなぁ。しみじみ思った。
しかし、イベント当日になって驚いた。
出るのはR?hallの人気イベント『CONNECT』だった。
SPICEやTR∀MP、GRASS、COPPERTONE、電撃チョモランマ隊、といった先生たちのチームが出ているようなイベントだったのだ。
こんなんに出ていいのかよ?
かなり腰が引けた。
本番は訳の分からないうちに終わった。
二部は先生たちのチームが目白押しだった。今から考えると、ゲストチームだらけのショータイムである。
よくこんなイベントが毎月やってるなぁ、とビックリするよな凄いダンサーたちが出演していたのである。
観てるだけでワクワクして踊りたくなってくる。
しかし、圧倒的なスキルを前にヘコんだ。
SPICEみたいになりたい。
毎日そんな事ばかり考えていた。
※【昔話】ストリートダンスとオイラ。【1995〜2000】へ続く。

