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【昔話】ストリートダンスとオイラ。【1995~2000】

【昔話】十九、二十歳。【1994~1995】からの続き。



大好きなSPICEHOUSEを習えるようになり、HOUSEという踊りに対する興味は広がっていった。
SPICEというチームは元々、ヘルス&スポーツ学院というダンスの専門学校の卒業生が結成したチームで、メンバーはあらゆるダンススタイルを踊りこなしていた。
その先生たちの
「どんな曲でも踊れた方がいい」
という言葉を受けて、オイラもHOUSE以外のストリートダンスにも興味を持つようになっていった。



JAZZを最初に習った田畑先生は昔、DISCOでファンキーフルーツというジャンルのダンスを踊っていた。
ファンキーフルーツというのは、LOCKIN'に非常によく似たダンスである(ファンキーフルーツについてはJINさんのサイトが詳しい)。
たまにファンキーフルーツっぽい振り付けをしてくれた時にオイラが喜んでいるのを見た先生は、
「のり、こういうのがやりたかったら、さくちゃんとこ行くといいよ」
と言ってくれた。
さくちゃん、とはSpartanic Rockersの佐久間浩之先生の事である。昔ながらの友達らしい。


しかし、田畑先生に習っていた頃は田畑先生以外の先生に習う気が全く無かったので、行かなかったのだが、22歳くらいの頃、立教で知り合った谷口浩久(TANNIE)という友人(OFF THE LOCKというチームを組み、CONNECTなどでしばらく活動した仲間の一人)がLOCKIN'に興味を示し、佐久間さんに習い始めたと聞き、スクールに連れて行ってもらった。



「おー、タバっちゃんに習ってたんだ?懐かしいなぁ。タバっちゃん、元気?」
佐久間さんは凄い気さくに話してくれた。
クラスはまるで大学の講義のようだった。
ステップ毎の名前や由来を教えてくれた。
ダンスの生き字引みたいな先生だ。

しばらく佐久間さんのSOUL LOCKIN'のクラスに通ったり、同じスクールのHIDEKAZUさんのHIPHOPSTAX GROOVEのSHUNさんのBE BOPもかじったりした。



TANNIEは当時、やはり試行錯誤をしていて、LOCKIN'やBE BOP、CAPOEIRAなど様々なクラスを受けまくっていた。
友人のそんな姿勢に刺激を受け、オイラもやはり色んなスクールに行きまくった。
先生によって考え方も教え方も違う。
それが面白かった。

段々と動きの骨組みみたいなものが理解出来るようになった。
そうなると、他人の動きを見て盗めるようになった。
スクールに通わず、CLUBに通うようになった。


CLUBのダンサーたちは生きた教材だった。
観察して動きを盗み、練習する。たまにバトルを仕掛けたりもした。
見知らぬ他人だったダンサーたちと仲良く踊るのにハマっていった。
中にはとんでもなく上手い人がいて、あっさりとやっつけられちゃったりもしてたんだけど。



スクールに通わなくなり、サークルも行かなくなり、チームのメンバーと外で練習するようになって、次第に
「オリジナリティって何だろう?」
と悩むようになった。
人の動きをパクるのには慣れたのだが、そっくりに踊っても、それは自分らしさのカケラもない動きだ。



SARAさんは毎回、
「オレの真似はするな!」
と口をすっぱくして言っていた。
スクールでダンスを習うのが当たり前だったから、何故真似しちゃいけないのか、よくわかってなかった。
しかし、その言葉の意味に気づいた時、自分が今までやってきた事を否定したくなってしまった。

自分なりの動きを探そう。そう思って踊り方を変えた。
柔らかい動きを硬く。しかし、それも誰かの真似のような気がして。
スランプに陥っていた。

形にこだわり過ぎていたのだと思う。
単純に音を聴いてノるのでは無く、考えながら動いていた。
踊りでは無く、動きをなぞっていただけだった。

自由に踊りたかったはずなのに。

そして、先生の伝えようとしていた事がわかって無かった事を後悔した。



しかし、この頃、何故か先生たちから頻繁に代行を任されるようになってきた。
SPICEの面々の代行が出来るのは嬉しかった。
しかし、同時に
「自分の踊りって何だろう?」
と悩んでいた。

ドレッド


24歳の頃、D-mcと名前が変わって久しいM研の後輩であるゆうじくんと電話で話していた。
「ゆうじくん、RAVE出ない?」
「のりさん、RAVE出ませんか?」
ほぼ同時に同じ事を言っていた。

当時、SAMさんがナビゲートするダンス番組『RAVE2001』がやっていた。
「とりあえずやってみよう」
2人だと寂しいから、そんな理由でゆうじくんは友達に声をかけて連れてきた。
万里というその青年は、借りてきた猫のように物静かだったが、たまたま漫画の話を振ったところ、異様なまでの情熱を持って語り出した。
以来仲良くなり、よく連むようになった。

無事、オーディションに受かり、『YUJI+BANRI+NORI』として出演した。

ゆうじくんは大学卒業後、地方に就職が決まっており、このメンバーでは一度だけしか踊っていない。



その年の初夏、オーディションがあった。
trfが鈴鹿8耐の前夜祭のライブをする。その時に一緒に踊る100人のダンサーのオーディションだった。

物凄い人数が集まり、ほぼ一日かけて100人が選ばれた。
どうにかその中に入る事が出来た。そこから更に追加曲のオーディションがあり、20人の中に入れた。2曲分の振り付けを覚えるのは大変だったが、嬉しさに震えた。



鈴鹿に行く前日の晩、CLUBで酒を飲んで踊っていた。
何も考えずにただ暴れていると、それが段々と心地良くなってきた。
馬鹿みたいに踊った。
誰が観てる訳でも無いし、楽しければいいや。
そう思って汗だくになって踊りまくった。
汗でアルコールが抜けても、まだ踊り続けた。
次はこのリズムに合わせよう。
形じゃなく、音を取る事だけを考えた。
いつしかそれすらも考えずに、ただ音楽に身を委ねていた。

それを見ていた友人に、
「のりちゃん、凄い楽しそうだったよ。何か殻が取れたみたいだった」
と言われた。

ヘトヘトになったけど、気持ちは晴れ晴れとしていた。
踊るって楽しいなぁ、そう実感した。

CLUBから始発で帰宅して、まとめておいた衣装などの荷物を掴んで家を出た。
新宿の高速バス乗り場に集合して、鈴鹿に向かった。
オーディションの日以来、一度だけavexでリハーサルをした。
それ以来だったので、不安もあったが、本番が楽しみだった。

現地に着くと、旅館に荷物を置いてのんびりした。
夜にゲネ(本番同様のリハ)をしている途中、雨で中止になり、不安になる。

翌朝から再びリハーサル。
炎天下のサーキット場周辺は日差しを遮るものも少なく、汗だくになりながら、ひたすら踊りまくった。
段々と他のダンサーたちとも打ち解けてきて、楽しくて仕方なくなった。

サーキット場の上で踊った『Unite! The Night!』、そしてtrfと共にステージ上で踊った『EZ DO DANCE』。
本番はメチャクチャ楽しかった。
trfの歌じゃないが、
「20世紀で最高の出来事」
だった。



こうして、20世紀最後の夏が終わった。





ある日、スクールの先輩から声をかけられた。
「田中くん、スポーツクラブでHIPHOP教えない?」
二つ返事で引き受けた。
自分の受け持ちのクラスが持てる!

更に友達づてにスポーツクラブでHOUSEを教えないか、という話が来た。
バイトとインストラクターという二足のわらじ生活が始まったのだった。

サークルや屋外スクールとしてしばらく後輩にダンスを教えたりしていたし、代行もしていたので、ダンスを教える事には慣れていた。
しかし、『ダンスをやりたい、という訳では無いが、身体を動かしたい人』に対する教え方には慣れていなかった。
しかも、スクールは1クラス平均90分なのに対し、スポーツクラブでは60分であった。
3分の2の時間内で進めるにはどうしたらいいんだろう?
試行錯誤しながら、少しずつ、コツを掴んでいった。


ダンスに限らずどんな事でも、とりあえず初めてでもなんでもやらなきゃ始まらないし、やっていくうちにエキスパートになっていくものだと思う。
勿論、仕事としてお金をもらう以上は常に楽しめる内容を提供していかねばならない。

振り付けの難易度のバランスや、急遽振り付けを変更出来るように対処能力を養っていった。
自分が既に当たり前の事として解り切ってる内容を、全く知らない人に説明する為には、どうしてそうなのか、きちんと理解していなければ伝える事が出来ない。
人に教える事で、自分も学び直す事が出来るのだ。
難しいけど、やりがいを感じる。


ダンスを教える事だけで生活出来るようになりたい。そう思うようになっていった。
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プロフィール

NORIMITSU

Author:NORIMITSU
※当ブログからのテキスト、画像などの無断転載、無断使用を禁じます。


東京生まれ。
幼少の頃、マイケル・ジャクソンの『スリラー』を観て衝撃を受けるが、持ち前の引っ込み思案が災いし、「(ダンスは)自分には無理」と諦める。
小中学校でドップリ「オタクカルチャー」にハマるが、音楽には元々興味があった為、バンドを組もうと思うようになり、ジャンケンで負けてベース担当になる。
中学卒業直後、高校入学直前に先輩たちの自主公演を観劇し感激。演劇部と音楽部(合唱部)に入部する事を固く決意する。
「10年生になったら友達100人出来るかな?」をスローガンに男女問わず声をかけまくる、いわゆる高校デビューを果たす。
バンドは「音楽性の違い」というありがちな理由で解散。ヴォーカリストを目指す。
突っ立ったまま歌うとなると、まるで橋幸夫さんのようなので、ダンスを習う事にする。
trfのSAMさんに憧れていたのだが、ダンススクールや俳優養成所でジャズダンス(某金融ショップのCMでおなじみのジャンル)とバレエを習う。
俳優養成所のダンスの先生の公演出演を通じ、立教大学のダンスサークル「St.Paul's Musical Company(現・D-mc)」に所属。
20歳の頃、SAMさんの踊ってるダンスジャンルがハウスだと知り、愕然とする。
急遽、ストリートダンスに路線変更。座右の銘は「急がば回れ」。
ダンスチームを結成してクラブイベントに出たり、ダンスの仕事をしたりして、24歳の頃にダンスインストラクターとして、ダンススクールやスポーツクラブなどでクラスを持ち、ストリートダンスを教えるようになる。

現在、落語家「三遊亭楽天」として全国各地で落語の口演を行っている。
2012年8月、六代目三遊亭円楽に入門、「楽天」と命名される。
2015年10月、「楽天」のまま二ツ目昇進。



【主な芸歴】
日本ジャズダンス芸術協会『秋の祭典』出演

H.S.ART第二回公演『BLUE』主演

東京ディズニーランド「ミッキーのダンスフィーバー」TVCM出演

テレビ東京系『RAVE2001』5thステージに「YUJI+BANRI+NORI」として出演

鈴鹿8耐前夜祭『RIDE & LIVE』TRFライヴバックダンサー出演

フジテレビ系『SMAP×SMAP』出演

お台場どっと混む!2002『遊城』Dur mollライヴバックダンサー振り付け・出演

テレビ東京系『BEATOPIA』DT CRUSH!出演

劇団東京ミルクホール公演振り付け洋舞担当

自主制作DVD『ストリートダンス ヨクワカルDVDマガジン REAL STREET』企画・振付・出演・ストリートダンス普及委員会委員長・特典小冊子「ストリートダンスがよくわかる本」執筆

SONY 50時間連続再生MP3プレイヤー 50時間連続ダンスキャンペーンダンサー

フジテレビドラマ『トップキャスター』出演

映画『バックダンサーズ!』出演

氣志團『The アイシテル』PV出演

東京ガールズコレクション 2007 AUTUMN/WINTER DJ OZMAライヴバックダンサー出演

他多数



【お問合せ】
nori.school@gmail.com
※文章についてのお問い合わせなど、こちらからお送り下さい。

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